2021年 9月 26日 (日)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(41)精神科医・香山リカさんと考えるパンデミック下の心理

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「気晴らし」の効用

   香山さんの話を聞きながら、私は何度か、パスカルの「パンセ」(前田陽一、由木康氏訳、中公クラシックス)のことを思い出した。

   パスカルはその遺稿集で、何度も「気晴らし」について触れ、それが人間の本性に根差していると説いているからだ。

   パスカルは、「人間の不幸はすべてただ一つのこと、すなわち、部屋の中に静かにとどまっていられないことに由来する」という。

   人間は弱く、死すべく、慰めてくれるものは何もないほどに惨めな本来の不幸のうちにある。どれほど恵まれた地位や幸福にあっても、人は気を紛らわせることができなければ避けえない病や死など、彼を脅かす物思いに陥って不幸になってしまう。だから、十分な財産があっても人は海や要塞の包囲戦に出かけ、社交や賭け事に熱中するのだ、と。彼はこう書いている。

「人間というものは、どんなに悲しみで満ちていても、もし人が彼を何か気を紛らすことへの引き込みに成功してくれさえすれば、そのあいだだけは幸福になれるものである。また、どんなに幸福だとしても、もし彼が気を紛らされ、倦怠が広がるのを妨げる何かの情念や、楽しみによっていっぱいになっていなければ、やがて悲しくなり、不幸になるだろう。気ばらしなしには、喜びはなく、気を紛らすことがあれば、悲しみはない」

   パスカルは、人間のこの逆説的な本性を、信仰の本質を説くための予備的な考察として記した。若いころ、私は「気晴らし」に関するこうした見方は、「弱く、死すべく、本来の不幸にある」人間の本性を直視することの大切さを説く文章だと受けとめた。

   だが齢を取るにつれ、見方は変わってきた。

   あえて直視しなくても、自分が「弱く、死すべく、本来の不幸にある存在」ということは、自明のこととして肌で感じられるようになる。そうであれば、「気晴らし」によってその不幸を紛らわすことこそが、「知恵」となるのではないだろうか。もはや居直りに近いが、せめて他人にとって自分は、ささやかな「気晴らし」を提供できる存在でありたいと思う。

   行動制限を迫られるコロナ禍においても、「部屋の中に静かにとどまっていられない」という人間の本性は少しも変わらない。演劇や映画、音楽、娯楽といった「気晴らし」は、「不要不急」どころか、こうした時にこそ、人には欠かせないのだと思う。

ジャーナリスト 外岡秀俊




●外岡秀俊プロフィール
そとおか・ひでとし ジャーナリスト、北大公共政策大学院(HOPS)公共政策学研究センター上席研究員
1953年生まれ。東京大学法学部在学中に石川啄木をテーマにした『北帰行』(河出書房新社)で文藝賞を受賞。77年、朝日新聞社に入社、ニューヨーク特派員、編集委員、ヨーロッパ総局長などを経て、東京本社編集局長。同社を退職後は震災報道と沖縄報道を主な守備範囲として取材・執筆活動を展開。『地震と社会』『アジアへ』『傍観者からの手紙』(ともにみすず書房)『3・11複合被災』(岩波新書)、『震災と原発 国家の過ち』(朝日新書)などのジャーナリストとしての著書のほかに、中原清一郎のペンネームで小説『カノン』『人の昏れ方』(ともに河出書房新社)なども発表している。

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