2021年 9月 17日 (金)

「ウマ娘」ではどう描かれた? 宝塚記念「メジロ家」3連覇のウラにあった濃密ドラマ

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   2021年の宝塚記念は6月27日に行われ、今年はメジロマックイーンを曾祖父にもつメロディーレーンが出走登録している。

   ゲーム「ウマ娘 プリティダービー」の中で名家として登場する「メジロ家」。そのメジロ家のモチーフとなった「メジロ牧場」といえば日本のステイヤー(長距離)路線を盛り上げてきたオーナーブリーダー。3200m戦である春の天皇賞に強かったことで有名だが、春の中距離路線を締めくくる2200mの宝塚記念を1991年から1993年まで3年連続で「メジロ」から別々の馬が制していた。

   メジロライアン(1991年)・メジロパーマー(1992年)・メジロマックイーン(1993年)の3頭で、いずれもウマ娘としてゲームにも登場する。宝塚記念は春の天皇賞と並んで「もう一つの晴れ舞台」だったともいえよう。「メジロ」での3連覇を振り返るとともに、ウマ娘での「メジロ家」では宝塚記念をどのように表現されているのかを比較していこうと思う。

  • かつてメジロの血統が3連覇を遂げた宝塚記念。小兵メロディーレーンにもメジロの血が流れるが、栄光はどの馬に?(山根英一/アフロ)
    かつてメジロの血統が3連覇を遂げた宝塚記念。小兵メロディーレーンにもメジロの血が流れるが、栄光はどの馬に?(山根英一/アフロ)
  • 宝塚記念の後、メジロマックイーン(右)はメジロライアン(左)に有馬記念での再戦を申し込む
    宝塚記念の後、メジロマックイーン(右)はメジロライアン(左)に有馬記念での再戦を申し込む
  • 史実のメジロパーマーを知るとより重く感じるセリフだ
    史実のメジロパーマーを知るとより重く感じるセリフだ
  • かつてメジロの血統が3連覇を遂げた宝塚記念。小兵メロディーレーンにもメジロの血が流れるが、栄光はどの馬に?(山根英一/アフロ)
  • 宝塚記念の後、メジロマックイーン(右)はメジロライアン(左)に有馬記念での再戦を申し込む
  • 史実のメジロパーマーを知るとより重く感じるセリフだ

期待されながらも惜敗が続いたライアン

   メジロライアンの父・アンバーシャダイは有馬記念と天皇賞(春)のG1を2勝した馬で、母・メジロチェイサーはメジロ牧場の馬。デビュー戦から504kgの大きな馬体重、かつ首の太さ、馬体の厚みもあって、メジャーリーグの大エースであるノーラン・ライアンの名前を付けられた期待の馬だった。

   しかしライアンは1990年、4歳(当時の旧馬齢表記で以下統一)クラシックでは皐月賞をハクタイセイの3着、ダービーではアイネスフウジンの2着、菊花賞では同僚で生粋のステイヤー・メジロマックイーンの3着とすべて惜敗してしまう。

   さらにこの年の年末・有馬記念はメジロマックイーンが回避した。このレースにはライアンのほかにメジロアルダンも出走することになっており、メジロ同士で星の取り合いを避けたとも、まだG1未勝利だったライアンとアルダンにチャンスを与えることにした、などと言われているが、真偽はともかくライアンの結果は引退レースであったオグリキャップの復活劇に半馬身差で2着に屈してしまう。

   このレースでは「競馬の神様」こと評論家の大川慶次郎氏がライアンを本命に賭けており、
「ライアン! ライアン!」とテレビの実況で声が入ったあのレースだ。結局3歳時にG1を勝つことはできなかった。年が明けても中山記念2着、天皇賞(春)をメジロマックイーンの4着と、ここまで惜敗が続いたことで、すっかり「ジリ脚」という評価が定着してしまったのだ。

逃げを選んで宝塚でG1初勝利

   だが、ライアンは決して「ジリ脚」ではなかったと思う。3歳から天皇賞(春)までのレースにおける上がり3ハロンのタイムを見れば、多くのレースで出走馬中1位から悪くても3位までとトップクラスのキレを発揮していたのだ。ただ、それが前を捕まえるまで届かない。アイネスフウジンやオグリキャップ、そしてメジロマックイーンの先行力がそれだけ凄かったのだ。

   そして1991年の宝塚記念である。これまで後方から差しの競馬をしていたライアンだったが、このレースでは3歳時以来となる先行策を取る。4番手からコーナーごとに位置を上げ、4コーナーでは先頭に立つと、あとから追い上げてきたマックイーンを凌いで初のG1タイトルを手にした。

   キレはあるが前が強い。ならば前で勝負しよう。デビュー5年目の若手であった主戦騎手の横山典弘騎手の発想なのか、それもと厩舎の判断だったのかはわからないが、ずっと上がりで勝負していたライアンが10戦連続して継続していた、上がり3ハロン3位以上の記録が途絶えたレースで初のG1制覇を成し遂げたのである。

何度も怪我に泣いた傷だらけのパーマー

   メジロパーマーは父・メジロイーグルも逃げ馬で、パーマーはライアン、マックイーンとも同世代。3頭が生まれた1987年はメジロの当たり年だったといえよう。

   だが、パーマーは3歳時に3戦目で初勝利からOPのコスモス賞まで連勝したのだが、京都3歳Sを走ったのち骨折が判明。4歳クラシックとは無縁だった。さらに復帰後、函館記念を走ったのち再び骨折。なかなかうまくいかず、5歳の十勝岳特別を勝つまで12連敗を喫してしまっていた。その後札幌記念で重賞初制覇を成し遂げるが、5歳秋緒戦の京都大賞典を7着に敗れたところで障害馬に転向することになった。

   メジロは障害でもメジロアンタレス、メジロマスキットといった中山大障害馬を出している。札幌記念を勝った平地重賞馬の障害転向とくれば障害の大一番へ夢も膨らむところだ。そして障害デビュー戦は1着。2戦目も2着。成績だけ見れば割と順調そうに見えるのだが、現実は違った。障害の飛越があまりうまくなく、傷を負ってしまうのである。

大逃げを選んだ「相方」山田ジョッキー

   結局平地に戻った1992年、6歳のパーマーに転機が訪れる。平地復帰2戦目から主戦となった山田泰誠騎手である。生涯で193勝と、申し訳ないがスタージョッキーと呼ぶには物足りない勝利数だが、G1を2勝した相方はこのパーマーである。レースで気が抜けがちなパーマーにはとにかく大逃げして、気を抜く余地を与えないほうがいい。山田泰誠騎手がスタートから頑張らせることでパーマーの成績は良くなったのである。新潟大賞典も制し、迎えたのがこの年の宝塚記念だ。

   宝塚記念での道中は1馬身程度の差でトップを保った。だが2番手はウマ娘で「爆逃げコンビ」となるダイタクヘリオスで、ペースそのものは緊張感のある状態。3コーナーでペースを上げると後続はどんどん離れ、4コーナーではセーフティリードに近い状態に、残り1ハロンが14.0秒という消耗戦に持ち込んだことで逃げ切り、初のG1制覇を成し遂げたのである。

   ただ、メジロ関係者も意外な優勝だったのか、現地の応援に関係者が少ししか来ていなかったという話もあったようだ。

ステイヤー・マックイーンには余裕の勝利だった?

   天皇賞(春)の父子3代制覇などから、メジロマックイーンがメジロの誇るステイヤーの最高傑作とも言える点はご存知の方も多いと思われる。

   ただ、逆に言えば生粋のステイヤーにとって2200mは短い距離だといっていい。とはいえ1991年、5歳時に2000mの天皇賞(秋)を1着入線(進路妨害の判定で18着降着)していたり、産経大阪杯(当時G2・現大阪杯G1)を勝っていたりするなど、こなせないわけではなかった。

   4歳時の宝塚記念はライアンの2着。パーマーが制した5歳時の宝塚記念は左前脚種子骨の骨折で休養だったため出走していない。6歳で復帰し産経大阪杯を勝ち、そしてあのライスシャワーにマークされ阻止された天皇賞(春)を経て、1993年の宝塚記念を迎えたのである。

   レースは前年覇者で前年末の有馬記念も制したグランプリ連勝のメジロパーマーが逃げる。ペースは1コーナー過ぎまで上がりっぱなしで前年よりもペースが上がったものの、上げすぎたと判断したのか2コーナーから一気にハロンラップが13秒台に落ちる。これでパーマーは気が抜けたのか3コーナー前にはオースミロッチに捕まり、さらにその後ろにいたマックイーンもパーマーを4コーナー前には捕える。そして直線に入りオースミロッチを捕まえて先頭に立った。道中最後方だった鉄の女・イクノディクタスが追い込むもゴール直前の勢いは変わらず、1馬身3/4先着して優勝した。

   ゴールを過ぎても「まだ距離は保ちますけど?」と言っていそうにも見える完勝であった。こうして、メジロの宝塚3連覇となったのである。

「ウマ娘」ライアンとマックイーンも宝塚でクロスする

   では、ウマ娘でのメジロ家はどう描かれているのだろうか?

   まずは1991年の宝塚記念だが、ゲーム内でのイベントでメジロライアンはシニア級での春のファン感謝祭で自ら主役となっていく決意をもち、マックイーンからライアンはジャンヌ・ダルクだと評されるシーンがある。

   天皇賞春でマックイーンと真っ向勝負し、迎えた宝塚記念。レース前のイベントではトレーニングによって自信を得たというライアンに対し、マックイーンは「完成されたメジロには――距離の壁などないことを」と話し、距離など関係ない「獲るか獲られるか」の勝負となることが説明される。

   ライアンで宝塚記念を制すると、マックイーンから「中距離は任せる」と聞かされるが、続けて「2人共が力を発揮できる距離がありますけれど」と、2200mの宝塚記念と3200mの有馬記念の中間である天皇賞(春)での再決戦へ話が進んでいく。史実のライアンにとって初G1制覇となった宝塚記念が、その後へ主役の一人として展開していく転機ともいえるイベントだ。

パーマーの宝塚記念はアニメ2期6話で

   1992年の宝塚記念に勝利しているメジロパーマーは現在ゲームでは育成ウマ娘としては登場しておらず、サポートカードでの登場だ。だがアニメではしっかり登場シーンがあり、パーマーはマチカネフクキタルの占いに導かれて(?)ダイタクヘリオスと友人になるシーンが2期4話で描かれている。爆逃げのズッ友へ......その後2期6話、宝塚記念はウマ娘番組のなかでVTRとして紹介され、ヘリオスに「あとは任せた」からのパーマー「私たち、ズッ友だよ!」で逃げ切った宝塚記念をインタビューで語るパーマー、そしてそのテレビをハイテンションで見るヘリオスの楽しいシーンで表現されている。

   VTRでは観客に手をふるパーマーだが、トレーナーが見つからず「あれ? トレーナーは?」となるシーン、メジロ関係者が優勝するとは思っておらず、関係者が少ししか来ていなかったという史実のやわらかい表現だろうか。

   ゲームにおけるサポートカードでのイベントでも「ポジティブな逃げ」で、トレーニングメニューに悩むトレーナーに、パーマーが一旦逃げ出して別なことをするポジティブな逃げは大切だと語るシーンがある。

   出世するまで紆余曲折あり、障害戦に出てみたり、そして山田泰誠騎手に出会ってみたり......史実でもいろいろなことをしたからこそ出世した馬だったパーマーの「逃げるは恥だが役に立つ」セリフは重い。

トウカイテイオーを「突き落とす」マックイーンの完勝劇

   1993年の宝塚記念ではマックイーンが勝利しているが、ゲーム内でのマックイーンはシニア級の宝塚記念に出走すると舞台はいつもの阪神ではなく、京都となっている。 これは1991年が京都開催となっていた点が反映されており、レース前のイベントでもこの年のライアンとの対決を意識したコメントが流れる。つまり、ゲーム中では1991年の宝塚記念をイメージされたシナリオなのだ。

   だが、アニメでは1993年の宝塚記念が2期9話で登場する。ただ、それはトウカイテイオーが3度目の骨折をした最中、宝塚記念を完勝する強いマックイーンを寮のテレビから見守るテイオーのシーンだ。引退がちらつくテイオーにとって順調にG1勝利を重ねるマックイーンに心が折れかけてゆく切ない展開になってしまっているのだが、それだけこの宝塚記念は「完勝」だった。しっかりイクノディクタスが追いかけるが差が詰まらないという実況も、その完勝劇を表現している。

   ウマ娘・メジロ家の宝塚記念はアニメとゲームに分かれて、3年ともすべて表現されている。ステイヤーの名家であるメジロ家だが、中距離の宝塚記念もまた、メジロ家を語るうえで欠かすことのできない舞台なのだ。そう考えるとメロディーレーンが持っている背景はとてつもなく重く、奮戦する様子を見守りたいところだ。

(公営競技ライター 佐藤永記)
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