2024年 4月 20日 (土)

障害者とメディアの関係はこれでいいのか 手足3本失った男が「パラリンピックバブル」に思ったこと

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   東京パラリンピックの熱戦を通じ、2021年は障害そのものにも注目が集まった。それでも、メディアで障害者を見る機会は「期待していたほど増えていません」と話すのは、20歳の時に事故で右手と両足を失った山田千紘さん(30)。自身もメディアで発信する機会が多い年だったという彼は今、障害者とメディアの関係をどう見ているのか。今後メディアに期待することは。山田さんが語った。

   【連載】山田千紘の「プラスを数える」~手足3本失った僕が気づいたこと~ (この連載では、身体障害の当事者である山田千紘さんが社会や日常の中で気づいたことなどを、自身の視点から述べています。)

  • 東京五輪では聖火ランナーを務めた山田千紘さん
    東京五輪では聖火ランナーを務めた山田千紘さん
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期待していたほど、メディアで障害者を見る機会は増えていない

   2021年は東京パラリンピックがあり、障害のある人々がメディアですごくフォーカスされました。僕のパラアスリートの友人がNHKで特集されたり、バラエティ番組やワイドショー番組で車いすの方を見かけたりして、溶け込んできたんだなと思いました。

   でも、障害者が取り上げられたのは「パラリンピックバブル」だったというのか、その流れは長く続きませんでした。なかなか期待していたほど、メディアで障害者を見る機会は増えていません。

   パラリンピックで活躍したアスリートをきっかけに、他の障害者の方々にまで社会の目が向かなかったのだと思います。パラリンピックでアスリートに注目するのは当然のこと。そこから、障害の有無を超えた「共生社会」というところまで視点が広がらないまま、大会が終わってしまったのかなと思います。

   手足がある人とない人、目が見える人と見えない人、障害者と健常者が、当たり前のように同じ場で活躍できる社会になってほしい――。

   東京パラリンピックをきっかけに、そんな可能性の広がりを楽しみにしていました。大会を通じて障害そのものがメディアで取り上げられる機会が増え、障害について社会全体で考えるようになっていくと思ったからです。でも、それはまだ道半ばです。

知られている障害者のタレントは、乙武洋匡さんくらい?

   僕にとって2021年は、メディアに出る機会が多かった1年でした。YouTubeチャンネルの登録者数は10万人を突破し、夏には自著を出版しました。取材を受けたり、ラジオ出演したりすることも増えました。

   その中で実感したのは、どんなメディアにも必ず受け手がいるということ。YouTubeもネットニュースもラジオも本も、その奥には人がいます。僕のことなんて全然知らない人は大勢いて、メディアはたくさんの人と人とを繋ぐきっかけを生み出してくれるものだと、改めて感じました。だから、メディアに期待するものも大きくなっています。

   多様性、ダイバーシティ&インクルージョンに目を向ければ、メディアの力は重要です。障害や障害者について多くの人に発信することで、障害者がもっと見慣れた存在になり、理解が広がると思うからです。

   たとえば2018年の「R-1グランプリ」では、視覚障害のある漫談家・濱田祐太郎さんが優勝し、お茶の間でも脚光を浴びました。障害のある人々にとってすごく励みになったと思います。「お笑い芸人ができるんだ」と選択肢の1つとして考えられるようになったかもしれません。

   一方、テレビでよく見るくらいに知られている障害者のタレントは、乙武洋匡さんくらいではないでしょうか。乙武さんは何だかんだ言っていろんなメディアの最前線で長年活動してきたけど、世の中に障害者はたくさんいます。メディアで発信できる人もいるはずです。

自分と違うものを、拒絶するのではなく受け入れる

   東京パラリンピック前のことですが、乙武さんですら8月、両手両足が出る服装でテレビ番組に出演したら、「腕はあまり見せないでほしい」などとSNSに書き込まれたと、YouTubeで話していました。僕が2020年7月にYouTubeチャンネルを開設した当初も、コメント欄は荒れていました。再生数が多い動画に「手足ないの気持ち悪い」といったような罵声が書き込まれました。

   最近はそうした声も減りましたが、「珍しいもの」を見ると攻撃する人々は一定数いると思います。数は多くないかもしれないけど、障害者に拒絶反応を起こす人はいて、メディアもそんな世間の目を気にして、障害者の起用を控えてしまう側面があったと思います。

   自分と違うものを、拒絶するのではなく受け入れる。それがあるべき姿だと思います。僕にできることがあるなら、障害の当事者である僕が発信することで、みんなが互いを知り、受け入れられる世の中にしていきたいです。

   もちろん僕1人の力は限界があります。だからこそ多様な障害者がもっとメディアに出演するようになってほしい。障害のある人を見慣れれば、障害者は当たり前にいる存在として、みんな受け入れられるようになるんじゃないかな。車いすの人、手足がない人、耳が聞こえない人など、みんなが共存できる社会でありたいなと思います。

些細なコミュニケーションから、少しずつ距離は縮まっていく

   障害者に対して、健常者が「気を遣ってしまう」こともあるかもしれません。同時に、障害者のほうも「気を遣わせてしまっている」と思うことがあります。お互いが歩み寄り、「距離」を少しずつ縮める必要があります。

   すぐに縮められる方法はないかもしれません。まずは、知ろうとすること、話してみること。それが障害者と健常者、お互いにとって大事なことです。些細なコミュニケーションから、少しずつ距離は縮まっていくと思います。

   たとえば僕は外出中、通りすがりの方に「すみません、これができないので手伝ってもらえませんか?」と声をかけて手伝ってもらうことがあります。助けてもらうことがあるから、僕も誰かの力になりたくなります。逆に困っていそうな障害者がいたら、皆さんから声をかけていい。

   僕はバンバン人前に出て、手足がないことをオープンにして、いろんな人とコミュニケーションを取っていますが、「なかなか歩み寄ってもらえないな」と感じることもあります。それが、僕が感じる距離です。

   友達といる時、彼らは僕を受け入れて自然体で接します。互いを尊重しながら、一方で変に気を遣わない。障害者と健常者のそんなコミュニケーションが、日常生活でもメディアを通じても、各所で繰り広げられたら、両者の距離も縮まっていくのかなと思います。

(構成:J-CASTニュース編集部 青木正典)

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