衆議院の小選挙区比例代表並立制を見直す議論が進んでいる。額賀福士郎・衆院議長の下で2025年初めに発足した与野党協議会の5月の5回目の会合では、ドイツの小選挙区比例代表併用制とスウエーデンの比例代表制(拘束名簿式)について専門家から意見聴取した。リクルート事件の反省から、それまでの中選挙区制が変更され、「政権交代が可能な制度」として導入が決まったのが31年前。しかし、その後の政権交代は2度だけ。公認権を独占する首相の権限が強すぎる弊害なども指摘され、超党派の180人の議員連盟が動き出した。
導入当時の自民総裁は「痛恨事」
1994年の1月末。細川護熙首相(当時)と、初めて政権から転落した自民党の河野洋平総裁(当時)が、選挙制度を変更する合意書に署名した記者会見現場に筆者は出席していた。日付が変わった国会の外には雪が舞っていた。当時、河野総裁は小選挙区制に疑問があり、後に、この時の決断を「政治人生の痛恨事」だと後悔した。
当時、古川禎久・元法相はまだ20代だった。「選挙制度が変わる。当然、区割りも変わる。よし、活動を始めよう」。30歳になったのを機に宮崎県に帰り、2度の落選を経て無所属で当選。以来当選を8回重ねた。その古川氏は「政治改革の柱として衆議院選挙制度の抜本改革を実現する超党派議員連盟」(11党会派)の自民党代表である。持論は「中選挙区連記制」だ。
「今の制度は、民意を反映させるものとしては、信頼を失ってしまった。死票が多く、投票率も低い」。「小選挙区制は『対決原理』だ。(同じ選挙区の)相手と違うことを言わなければならない。白か黒か決着をつけるために、対決が国会運営に持ち込まれて、与野党が対決する」「しかし、にっぽん丸がいま難しい海域を航行する中で、果敢に適確に舵を切って進まなければならない時に、時代の要請に応えられるのか」。