プロ野球巨人でプレーし、監督としても活躍した巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏が2025年6月3日、肺炎のため都内の病院で死去した。89歳だった。
「巨人の象徴であり、日本野球の『国民的英雄』と評価」
日本球界のレジェンドである長嶋氏の訃報は、野球人気の高い韓国や台湾でも速報され、悲しみが広がった。
韓国の通信社「聯合ニュース」(ウェブ版)は、「日本球界を代表する『国民英雄』長嶋茂雄読売ジャイアンツ終身名誉監督が肺炎のため89歳でこの世を去った」「長嶋監督は選手、監督、終身名誉監督を経た読売の象徴そのものだった」などと伝えた。
大手紙の一角を占める「ハンギョレ新聞」(ウェブ版)は、「長嶋監督は、天覧試合でサヨナラ本塁打を放つなど、『無敵の勝負師』という愛称で活躍した」とし、次のように功績を称えた。
「1年遅れて巨人に入団したホームラン王・王貞治(現ソフトバンク会長)とコンビを組み、『ONコンビ』として巨人の黄金時代を築いた。巨人は、この2人を軸に1960年から70年代に前例のない日本シリーズ9連覇の記録を残した」
「トレンド新聞」(ウェブ版)は、「17年間、巨人の4番を死守した長嶋監督が89歳で逝去...巨人の象徴であり、日本野球の『国民的英雄』と評価されている」とのタイトルで記事を公開。
記事では「長嶋監督が日本で国民的英雄として扱われた理由は、1960年から70年代の日本の高度経済成長を象徴する人物として同一視されていたためだ」と解説した。
「長嶋茂雄氏は日本野球界の国宝」
台湾でも、各メディアが長嶋氏の訃報を速報した。
「中国時報」(ウェブ版)は、「日本球界のレジェンド、長嶋茂雄氏が肺炎で死去、享年89」とのタイトルで記事を公開した。
記事では、「長嶋茂雄氏は日本野球界の国宝であり、21年に開催された東京五輪では、王貞治氏、松井秀喜氏とともに聖火ランナーを務めた。プロ野球選手としてのキャリアは、最優秀選手賞5回、首位打者6回、最多安打10回、本塁打王2回、打点王5回を獲得し、オールスターゲームにも17回選出された。当時、王貞治氏とともに巨人のスターだった」と称賛した。
「聯合報」(ウェブ版)は、03年に開催されたアジア選手権を振り返りながら、長嶋氏の功績に言及した。
同選手権は、04年アテネ五輪のアジア予選を兼ねて行われ、長嶋氏が日本代表の監督として指揮を執った。
決勝リーグでは日本、台湾、韓国、中国がしのぎを削り、日本が1位、台湾が2位でそれぞれ五輪切符を獲得した。
「聯合報」は当時を振り返りながら、「日本代表を率いたのは、日本球界の『神』長嶋茂雄監督だった」とし、「長嶋監督率いる日本は、台湾代表と激突し、両国野球史に残る名勝負を繰り広げた。それは今もなおファンの心に深く刻まれている」と故人をしのんだ。