プロ野球西武、オリックスなどでプレーした中島宏之氏(43)が、2025年8月24日に公開されたプロ野球解説者・高橋慶彦氏(68)のユーチューブ動画にゲスト出演し、米国から日本球界に復帰した際の舞台裏を明かした。大リーグでは1度も試合に出場せず帰国兵庫・伊丹北高校出身の中島氏は、00年ドラフト会議で西武から5位で指名されて入団。西武では主力としてチームをけん引し、12年オフに海外フリーエージェント(FA)権を行使し、大リーグのオークランド・アスレチックスと契約した。当時の報道によると、2年総額650万ドル(約5億5000万円)の契約だったという。米国1年目は、スプリングトレーニングで調子が上がらず、足の故障もあってマイナーで開幕を迎えた。3Aで試合に出場し続けるも、13年シーズンは一度も大リーグに昇格することなく終えた。2年目のシーズンもマイナー生活が続き、大リーグ昇格はならず。結局、2年間、大リーグに昇格することなく、14年オフにフリーエージェント(FA)となり、日本球界に復帰。複数球団による争奪戦の末、オリックスに移籍した。中島氏は、日本復帰を決めた経緯について、次のように説明した。「まだちょっと向こう(米国)でも(移籍球団を)探そうかなという感じになり、エージェントの人が、『ちょっと遅くなってもよかったらどこかの枠に、空いたところに入れることができるかもしれないから、遅くなってもいいか?』という感じになった。でも、遅くなると分からないじゃないですか。それだったら、『日本からもオファーが来ているから』と言われたので、それで日本で」「最初、西武から話をもらったが...」14年オフに、日本の球団と交渉することになるが、なぜ古巣・西武ではなくオリックスを選択したのか。高橋氏から「なんで西武に帰らなかったの?」と問われると、中島氏は、「最初、(西武から)話をもらいました。でも、ちょっとしたら『話なかったことにしてくれる?』と言われた」と明かした。そして、オリックス入団の際の西武関係者とのやりとりなどの「舞台裏」を明かした。「オリックス入団の会見の前の日くらいに、(西武担当者に事前に)『チームを決めたら教えてな』と言われていたので、それを真に受けて、『ここに決まったので明日会見します』と連絡を入れたら、(西武担当者が)『断りの連絡が入った』みたいな感じで、メディアに言っていて、僕がめっちゃ断ったみたいになっていた。先に『ちょっとなかったことにして』と言われたのに、『俺が断ったみたいになってるやん』みたいな感じになった」中島氏はオリックスで4年間プレーし、18年オフに巨人に移籍。スポーツ紙の報道によると、当時の原辰徳監督からラブコールを受けたという。その後、23年オフに中日に移籍し、24年シーズンを最後に現役引退した。
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