2024年 4月 25日 (木)

オリンピック日本代表に大学生が占める割合はどれくらい?【7月は応援! 五輪・パラリンピック】

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   東京オリンピックが2021年7月23日に開会式を迎えた。新型コロナウイルスの感染拡大で1年延期され、いまなお世界各地で猛威を振るっている中での開催に、さまざまな議論が巻き起こっているが、アスリートの活躍には応援の声を届けたい。そう思っている人は少なくないだろう。

   そんなことで、7月はオリンピックとスポーツにまつわる本を紹介しよう。

   今回の東京オリンピックに出場している日本人選手は、社会人、学生、プロなど、さまざまな人がいる。しかし、かつて日本にとってオリンピックの歴史は大学とともにあった。

   本書「大学とオリンピック 1912-2020」は、大学とオリンピックの関係を探りながら、日本のスポーツの変遷を追った本である。

「大学とオリンピック 1912-2020」(小林哲夫著)中央公論新社
  • かつて、オリンピック選手の多くが大学生だった!(写真はイメージ)
    かつて、オリンピック選手の多くが大学生だった!(写真はイメージ)
  • かつて、オリンピック選手の多くが大学生だった!(写真はイメージ)

1924年までは東京高等師範学校が多かった

   著者の小林哲夫さんは教育ジャーナリスト。著書に「東大合格高校盛衰史」、「ニッポンの大学」などがある。本書のサブタイトルも「歴代代表の出身大学ランキング」となっている。

   まずはそのランキングから見てみよう。最初に日本が出場した1912年ストックホルム大会は、東京高等師範学校(現・筑波大学)1人、東京帝国大学1人である。前者がマラソンの金栗四三選手、後者が三島弥彦選手であることは、NHKの大河ドラマ「いだてん」ですっかり有名になった。

   当時、国内にはプロスポーツは存在しなかった。実業団チームもほとんどなかった。オリンピック代表は消去法で大学生に限られてしまう。

   1924年パリ大会までは東京高等師範学校が多い。その後、1928年アムステルダム大会から1936年ベルリン大会までは早稲田大学がトップで、戦後の1952年ヘルシンキ大会では日本大学、1956年メルボルン大会では慶応義塾大学、1960年ローマ大会では中央大学がトップを占め、1964年東京大会から現在まで、日本大学と日本体育大学がしのぎを削っている。

   しかし、代表のうち大学生が占める割合は低くなっている。1952年には47.2%と半分近くを占めていたが、64年東京大会から大学生の比率が低くなり、72年ミュンヘン大会から2016年リオデジャネイロ大会まで1割台が続いている。今大会の数字は出していないが、同様と見られる。企業やクラブチームなど社会人選手の育成が強化され、大学生は社会人に太刀打ちできなくなったからだ。野球はプロ野球、サッカーはJリーグのメンバーで占められ、大学生の出番はなくなった。

   本書は文武両道だった戦前の学歴エリートたちの活躍、1940年「幻の東京五輪」の学徒動員などにふれながら、1964年東京大会を支えた学生通訳や裏方学生の秘話を紹介している。

1964年東京大会の学生通訳で有名になった「上智の外国語」

   前回の東京大会は大学の協力なしには運営できなかった。通訳が圧倒的に不足していたからである。学生通訳はJOC(日本オリンピック委員会)から委嘱された18の大学から選ばれた。

   英語と仏語が対象で、大学ごとに競技が割り当てられた。上智大学は最も多い34人。外国語学部は当時開設7年目で、「64年大会以降、『上智の外国語』はさらにブランド力を持つようになり、大学全体が底上げされ、1970年代以降、大学入試では『早慶上智』という難関校グループが確立していく」と書いている。

   選手村運営などをサポートする一般通訳は、新聞広告などで募集が行われた。英仏独西露の通訳が求められ、約7500人の応募があり、採用試験で900人が選ばれた。大会直前になって通訳が足りなくなり、試験なしで採用された学生も少なくなかったという。

   裏方をつとめた学生の話が面白い。通訳のほかにも、選手の練習補助、運転手、競技場の観客整理、選手村運営(食堂運営、選手案内、宿舎警備、備品搬入)など、さまざまな分野で学生がアルバイト、ボランティアとして参加した。

   国士館大学から約800人の学生が大会運営に関わっていた。なかでも体育学部では8割の学生が参加した。競技会場で観客が入場するときの整理、選手村での警備などをボランティアとして任されていた。

   当時、同大学助手としてボランティアを指導していた国士館理事長の大澤英雄さんは、負けた選手が酒を飲んで大騒ぎするのを学生ボランティアがなだめた苦労話を披露している。

   「東京2020」では、大学単位ではボランティアを募集していない。大澤さんは今回、参加の呼びかけがなかったのは残念だとしている。大学スポーツの役割は大きく、「だからこそ、大学がオリンピックに積極的に関わるべきだと考えます」と話している。

新しい大学の活躍

   昔話だけでなく、最近の大学スポーツ事情も紹介している。10章は「一芸に秀でた新設校、マイナー競技強豪校」。新しい大学がオリンピックに登場している。2007年に開学したIPU・環太平洋大学(岡山市)は女子柔道の素根輝選手(20年7月に退学)らを輩出した。教育とスポーツの融合を掲げ、実績を挙げている。

   柔道では2006年に開学した了徳寺大学(千葉県浦安市)も有名だ。大学職員のウルフアロンが男子100キロ級に出場する。優れた柔道選手を職員に採用し、オリンピック代表選手に育成することを大学として目指している。

   ほかにトランポリンの金沢学院大学、女子ホッケーの東海学院大学、ウインドサーフィンの関東学院大学などがマイナー競技で存在感を発揮している。

   小林さんは「オリンピック代表に学生が少なくなったとはいえ、選手育成、練習施設、技術向上、指導者育成、競技普及などで大学が大きな役割を果たしていることを忘れてはならない」と結んでいる。(渡辺淳悦)

「大学とオリンピック 1912-2020」
小林哲夫著
中央公論新社
990円

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