「首都直撃地震」もはや可能性でなく必ず起こる現実! 覚悟して準備急げ
「謝罪広告 当社発行の『週刊現代』平成19年11月10日号、同月17日号及び同年12月1日号において、中田宏氏が看護学校生に対してわいせつな行為をしたかのような印象を与える記事、支援者と癒着して公金を横領したかのような印象を与える記事、及び、海外出張をさぼってキャバクラで遊んだかのような印象を与える記事を掲載しましたが、これらの内容は事実に反するものでありました。ここにお詫びいたします。株式会社講談社」
これは「週刊現代」1月28日号の159ページに掲載された中田宏前横浜市長への謝罪広告である。中田のブログによるとこう書いてある。
「週刊現代」謝罪広告―潔く検証記事と謝罪文掲載する時代
「昨年12月の東京高裁の判決で、一連の記事がすべて事実無根であることが証明され、講談社が自らの見解としてようやく表明した態度が、上記のわずか19行の謝罪広告でした。(中略)じつは、この謝罪記事が掲載されたことを私はツイッターで初めて知りました」
私も覚えているが、当時の中田市長がいかにデタラメな市政をしているかという執拗な批判記事だった。『政治家の殺し方』(幻冬舎)という本の中で中田は、在任当時、彼を貶めようという反対勢力によって「捏造」された情報が週刊誌へ流された経緯を書いている。さらに中田はこう警鐘を鳴らす。
「講談社もそれらの闘争に巻き込まれ、反社会勢力に利用されたと言えますが、前述のように、『社会の公器』を担っているという深い自覚なしに従来のままの報道姿勢を続けるのであれば、『社会にとって有害な存在』に堕すことは避けられないと思います」
その通りだと頷くしかない。私にも覚えがあるが、詫び広告を出すというのは嫌なものである。できるだけ小さい活字にして、目立たない記事の隅っこに出すように部下に指示したことが何度もある。
いまもそうした悪しき「伝統」が残っているのだろう。だが、デタラメをやってきた週刊誌OBの身勝手ないい分かもしれないが、これからは、どうして当該の記事が掲載されてしまったのかを検証する記事とともに、潔く謝罪文を掲載するぐらいのことをやる時期にきているのではないか。なぜなら、東日本大震災や原発事故の放射能報道などで、週刊誌の存在感は以前にも増して大きくなってきた。これを好機ととらえ、週刊誌もジャーナリズムの一翼を担っているのだと知らしめるためにも、やるべきだと思うのだが。
現代は、ノンフィクション・ライター岩瀬達哉の連載「21面相は生きている」の中で、グリコ森永事件の真犯人はこいつだと断定した(文中では仮名)作家・黒川博行との間で紛争になっているが、これも何らかの決着がついた時点で、読者にことの経緯を公表する責任があると思う。