2024年 4月 19日 (金)

官邸の意を受けた読売、産経、週刊新潮のみごとな連係プレー 首相の便宜供与疑惑の「火消し」に大わらわ

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   読売新聞は"ポチ新聞"になり下がった。いや、もともと程度の悪い新聞だったのが、安倍首相の改憲論の理論的支柱を自任するナベツネ主筆の狼藉ぶりが目に余るようになってきただけなのだ。

   「第2の森友学園」といわれる加計学園(岡山市)への便宜供与疑惑は、次なるステージへと動き出した。

   NHKや朝日新聞が、前川喜平・前文科事務次官(62)の持っていた文書を入手し、そこに「これは官邸の最高レベルがいっていること」「総理のご意向だと聞いている」という安倍首相の働きかけを裏付けるような文言があるとスクープしたからだ。

   前川前次官は、天下り問題で1月に引責辞任している。

   慌てた官邸は、菅官房長官が「怪文書みたいなもの」と強く否定し、先週触れたが、官邸のポチ記者の一人・田崎史郎時事通信特別解説委員が「首を斬られたのを逆恨みして出したもの」と、安倍の代弁をして文書の正当性を打ち消して見せた。

   それだけでは危ないと思ったのか、大新聞であるはずの読売が5月22日(2017年)付朝刊で「前川前次官 出会い系バー通い 文科省在職中、平日夜」と見出しを付け、「その結果、安倍官邸の目論見通り、前川前次官の信頼や名声は、あっけなく地に落ちたのだ」(週刊新潮)

   読売新聞が飛ばし、同じ官邸御用達の産経新聞が続き、週刊新潮がご丁寧に、前川が通っていたという新宿・歌舞伎町の「出会い系Bar」の潜入ルポをする。

   見事な連係プレーだと思う。そのBarは、男は入り口で入場料6000円を払い、無料で入れる女性たちを物色し、気に入った女性を外に連れ出して食事やホテルに誘うシステム。

   週刊新潮が前川の写真を見せると、いた女性たちが口々に、「あ、何度も見たことがある!」「週3、4回くらいじゃない。1年ちょっと前から来るようになって」と証言する。

   だが週刊新潮はサービス精神旺盛だから、そこの女性に「あなたが来る2日前から、読売新聞の2人組がここに来ていた。最初は名乗らず、あなたと同じ写真を見せながら"同じ会社のすごい人なんだ"とか言って、何人もの女の子を食事に連れ出し、いろいろ話を聞き出そうとしていたよ」という証言まで載せている。

   またNHKの記者は、前川のインタビューも収録済みなのだが、いまだ放送されていない。「というのも、前川さんに"買春疑惑"が持ち上がってきたからです。そんな破廉恥な元役人の話に丸乗りして、安倍総理を追及するのは危険ではないかという判断が、局の上層部にあったみたいです」

   こうしたメディアは、時の権力者が自分の「お友達」の学園理事長に、それまで15回も却下され続けていた獣医学部申請を国家戦略特区に指定するというウルトラCを使って認めさせ、その上約37億円といわれる市有地を無償譲渡するよう圧力をかけたという問題と、前川前次官のプライベートなことの軽重がわからないのであろう。

   週刊新潮は前川に取材を申し込んだが何の回答もなかったという。やはり週刊新潮は週刊文春の中吊りを盗み見ていないことがこれでわかる。

前川前次官が感じたプレッシャー

   週刊文春はその前川前次官の「独占告白150分」を巻頭でやっているからだ。前川は16年6月に事務次官に就任。すぐに直面したのがこの獣医学部新設問題だった。文科省は獣医師の供給不足はない、新設するならば、既存の獣医学部で対応できないニーズに応える獣医師を養成する場合に限るという原則を決めていたが、16年8月に大臣が代わり、新たに「安倍のイエスマンのような存在」(官邸関係者)の山本幸三が地方創成相に就任すると、話が動き出し、山本が率いる内閣府が学部新設へ前のめりになっていったという。

   内閣府からの文書の中に「これは官邸の最高レベルが言っていること」などの文言が入り、前川は「『これは厄介な話だな』と思った記憶があります。官邸の最高レベルというぐらいですから、総理か官房長官かな、と受け止めていました」と語る。

   さらに追い打ちをかけるように、平成30年4月開学を前提として内閣府は進めているとし、その理由が「総理のご意向だと聞いている」というのだ。

   前川は「これは藤原審議官の表現であって、本当の総理のご意向なのかどうか確認のしようがありませんが、ここまで強い言葉はこれまで見たことがなかった。プレッシャーを感じなかったと言えばそれは嘘になります」と、総理のご意向という言葉に次官といえども恐れおののいた。

   なぜそんなに急いだのか? 結局、内閣府が描いたスケジュール通りに進んでいった。それも加計学園に有利な条件に変更された。前川はこう反省している。

   「本来なら、筋が通らないと内閣府に主張し、真っ当な行政に戻す努力を最後まで行うべきだったと思います。『赤信号を青信号にしろ』と迫られた時に『これは赤です。青に見えません』と言い続けるべきだった。それができなかった、やらなかったことは、本当に忸怩たる思いです。力不足でした」

   読売新聞の「出会い系バー通い」については、「その店に行っていたのは事実ですが、もちろん法に触れることは一切していません」と潔い。

   元事務次官がここまで証言しているのだから、安倍の便宜供与疑惑は真っ黒である。だらしのない野党のケツを叩き、安倍を追い込み、共謀罪を潰すために反安倍メディアは結束すべきである。

   ここで冒頭の読売新聞に話を戻す。先週、読売の伝統はトップが新聞を私物化することだと書いた。だが、今のナベツネのようなやり方をした人間はいない。正力松太郎は、新聞よりもその販売益で事業をすることの方が私には大事だといって、当時、社会部にいた本田靖春を激怒させた。そしてあれほど好きだった新聞記者を辞めることを決心するのだ。

   「正力物を私は単に嫌っていたのではない。社主による紙面の私物化という、公正であるべき報道の大原則に悖る事態が現に進行しているにもかかわらず、社内でだれ一人として批判の声を上げないだらしなさに、心底、煮えくり返る思いがしていたのである。(中略)

   私が職場で常に強調していったのは、自分が現に関わっている身内的問題について、言論の自由を行使できない人間が、社会ないし国家の重大問題について、主張すべきことをしっかり主張できるか、ということであった」(『我、拗ね者として生涯を閉ず』より)

   この本田の言葉を、今の読売新聞の記者たちは何と聞くのか。

阿波おどりを収入源にしている徳島新聞

   もう一本週刊現代の地方紙の記事。地方新聞というのは、ほかの県では知られていなくても、その県では大変な力を持ち、傘下にテレビ局を入れ、地元の政治家も取り込んでいることが多い。

   私が昔よくお付き合いした「北國新聞」(石川県金沢市に本社)もそうだった。部数は少ないがコングロマリット化して、石川県では絶大な力を持っていた。

   夏の風物詩「阿波おどり」は徳島の名産品といってもいいくらい、県外でも知られている。

   そのおどりが、慢性的な赤字体質が改善せず4億3000万円もの巨額な借金が積み上がり、中止の危機に追い込まれていると週刊現代が報じている。

   その元凶ともいうべきが「徳島新聞」だと、市観光局幹部が憤っている。要は、徳島新聞は口は出すがカネは出さず、それどころか阿波おどりを収入源にしているというのだ。

   おどりの期間中、鑑賞できる桟敷席が10万席ほどあるのだが、徳島新聞が市の中心部にある人気の席を取ってしまい、それも2~3万枚も持って行ってしまうというのである。

   チケットをオープンにして販売したいというと、「おまえはん、何を言うとんぞ! そんなことをしたら徳島におられんようになるぞ」と脅されたそうだ。

   こうしたイベントは、地元紙には企業名の入った「名刺広告」というのが入るが、それでも徳島新聞は多大な利益を上げているという。

   さらに徳島新聞は、自社の社員をアルバイトと称して阿波おどりに参加させ、日当1万円以上を観光協会に請求するそうだ。

   徳島新聞は県内シェア7割を誇る。そうした力を自分たちが甘い汁を吸うために使うのでは、批判されても仕方あるまい。

   全国に知られている阿波おどりが、こんなことで中止にでもなったら県の恥だろう。徳島新聞もそうなれば、甘い汁を吸うこともできなくなる。両者と、県民を交えて、早急に話し合うべきだ。

村田よ再起せよ!

   週刊新潮、週刊文春が5月20日(土曜日)のボクシングWBA世界ミドル級王座決定戦のことを書いている。ともに判定がおかしいと怒っているが、本当にそうだろうか。

   村田諒太(31)とアッサン・エンダムとの12回戦だったが、たしかに誰が見ても圧倒的な村田のパワーがエンダムを圧倒していた。

   楽勝だと思われていたが、結局、村田はKOできず12回までもつれ込み、エンダムのまさかの判定勝ちだった。村田のジムも世界ボクシング協会(WBA)のヒルベルト・メンドーサJr.会長も「おかしい」と怒りをあらわにしていたが、私はそうは思わなかった。

   なぜなら、あの程度の相手をKOできなかった村田の詰めの甘さが、まだまだ世界チャンピオンの力はないと世界にわかってしまったからである。

   村田を大事に育て過ぎた。ようやく100%勝てる相手を見つけ、いちおう世界王者として売り出し、ラスベガスあたりでこのクラス最強王者ゲンナディ・ゴロフキンとでもやれば、負けるにしても大きなビジネスにはなる。

   周囲はそう考えていたのだろう。だから、打ち合って万が一のことがないようにといい含め、判定は日本でやるのだから、よほどのことがなければ負けることはない。そう読んでいたのであろう。

   だが、パンチ力はないが手数が多いエンダムのほうを、2人のジャッジは優勢と見たのである。おかしいが、この逆のケースも日本ではよくあることだ。

   村田は引退するかもしれない。もう一度立ち直れたら、ゴロフスキンへ挑戦して最後の花を咲かせてほしい。そのときは力の限り、あしたのジョーのように打ち合うことだ。村田のパンチが当たれば、ゴロフスキンといえども立っていられないかもしれない。それだけのパンチ力を持った村田よ、金メダルのことは忘れて、一人のボクサーとして再起せよ!

週刊文春、謝ったら

   さて、週刊新潮が今週も「文春砲は汚れていた」第2弾をやっている。

   新谷学編集長が説明責任を果たしていない。自著の中で「我々は首を取ることを目的にスクープを狙っているのではない。あくまでもファクトの提示だ」と書いているのに、新潮が先週号で行ったのも「ファクトの提示」だが、新谷編集長は「情報収集の過程で、他メディアの動向をつかむことはしばしばあります。そうした『情報戦』は、さまざまな形で新聞やテレビなどのメディアも行っています」というだけで、「文春の社員が本誌の中吊りをコピーして社に持ち帰ったという『ファクト』についての言及が一行もない」と週刊新潮は難じている。

   普段あれほど歯切れのいい新谷編集長にしては珍しく、週刊新潮の再度の直撃にも、モゴモゴいうだけである。

   週刊新潮の追撃の刃も、中吊りを10年にわたって週刊文春に渡していた出版取次「トーハン」に対しては軟らかい。

   「中吊りのことが引き継がれる過程で、弊社社員が文春さんの社員に"騙された"ような格好で、水曜日から火曜日に変更になった可能性もある、と思っています」(取次会社社員)

   まるで自分たちも被害者のような口ぶりである。取次が、中吊り広告を水曜日から火曜日に変えるということがどういうことかわからないはずがない。週刊新潮は「トーハン」をもっと追及すべきだ。

   また、元文春の編集長だった半藤一利や文春社長だった田中健五が登場して、「受け止めるべきはしっかり受け止めろ」「今回の一件の背景に『週刊文春』編集長に、些かの『傲り』がなかったか」と語っている。

   週刊文春で連載している池上彰は「私は、今回の件を全体としてはこう捉えています。文春さん、それはずるいじゃないですか」とやや控えめ。連載を辞めるといえば、週刊文春には大きなショックだったろうが。

   「週刊誌の自殺行為」(大谷昭宏)「盗人猛々しい」(碓井広義上智大学教授)など、厳しい言葉が並ぶが、私のような週刊誌のすれっからしには、まあ、バレたんだからきちんと一度謝ったらというしかない。

   昔先輩からこういわれた。頭を下げると思うから腹が立つ。尻を上げると思え。

   私には週刊新潮の報道を挙って取り上げた新聞、テレビの論調が気になる。週刊文春のスクープは見事だともろ手を挙げていた他のメディアが、今度は手のひらを返したように、週刊文春はとんでもない違法なことをやっていた、ジャーナリズムにあるまじき卑劣な行為だと批判の大合唱。

   これまでさんざん週刊文春の後塵を拝してきたから、ここで週刊文春の築いてきた信用や社会的価値を貶めてやろうという「悪意」はまったくないか。

   ケースは違うが、フライデーのたけし事件を思い出す。あの頃、フライデーは実売200万部に近づいていた。そこに起きたタレントたちによる傷害事件。被害者だから黙っていればよかったのに、講談社の人間が会見で「これは言論表現を侵す卑劣な行為だ」というような発言をしてしまったのだ。

   それに新聞やテレビがさっそくかみついた。「お前たちのやっていることは人権、プライバシー侵害ばかりだ。そんなことがいえるのか」。写真誌批判が巻き起こり、世論がこれに乗った。フライデーとフォーカスは、あっという間に部数を落とし、5誌合わせて600万部ともいわれた写真誌の時代はあっという間に終わりを告げた。

   週刊文春にはそうした二の舞にならないようにしてもらいたい。編集長は大胆なだけではだめだ。万が一を常に考える繊細さも要求される。この問題は早くけりをつけるべきである。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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