2024年 3月 19日 (火)

1時間50分の死闘制した奥原希望選手が語る 「東京五輪まで走り続けていきたい」

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   バドミントンの世界選手権、女子シングルスで日本人初の女王となった奥原希望選手(22)が「スッキリ!」のスタジオに姿を見せた。日本代表のトレーナー姿の首から金メダル、手にはラケット。何より笑顔がよかった。これをずっと持ち続けてくれればいい。

   昨日29日(2017年8月)イギリスから戻った日本選手団は、羽田で盛大な出迎えを受けた。中でも奥原選手は、五輪、世界選手権を合わせ日本人初の金メダル。銀、銅のメダルが並ぶ代表の中で、ひときわ輝いた。

   奥原選手は昨年(2016年)のリオ五輪で銅メダルだったが、12月の全日本総合選手権で、右肩の負傷で途中棄権。涙で無念の会見から8カ月、見事復帰を果たしての栄冠だった。

   しかも、準々決勝でリオ五輪金メダルのマリン選手(スペイン)、準決勝でロンドン五輪銅メダルのネワル選手(インド)を破り、決勝はリオ銀メダルのシンドゥ・プサルラ選手(インド)。リオでは準決勝で敗れた因縁の相手だった。

   空港での会見では「本当にきつくて、苦しくて、逃げ出そうと何度も心が折られそうになった」と言っていた。

   まさに死闘だった。第1ゲームは21-19でとった。第2ゲームは20-21で相手のゲームポイントで、壮絶なラリーとなった。60回を超え70回を超え、73回目で奥原選手が敗れた。奥原はコートに倒れこんだ。なんと1分20秒にも及んだのだった。会場は騒然、大歓声だった。

   そして立ち上がった第3ゲーム。21-20で奥原が迎えたチャンピオンシップポイント。死力を振り絞った奥原選手のドロップショットに、プサルラ選手はついていけなかった。1時間50分の死闘を制しての金メダルだった。世界バドミントン連盟は、「今回の決勝戦は、今後数十年語り継がれる伝説的な試合になった」とコメントした。

   「でもゴールはここではない。東京五輪までずっと走り続けていきたいと思っているので、進化し続けるよう頑張っていきたい」と会見で宣言した。

   試合のビデオに司会の加藤浩次が「すごい決勝でしたね」

   奥原選手「今自分で見ても苦しくなるような」

   加藤「あのラリーは駆け引きの連続なんですか?」

   奥原「そうです。相手のボジションを見ながら、攻められないように、逆に攻めるように展開しながら、誘うんですけど、相手もしぶとくて......」

   加藤「誘ってるとは......」

   奥原「次に自分が打ちたいところへ誘い込む」

   加藤「なるほど。相手が打つようなところへ落とし込む」

   奥原「でも相手もなかなかそこへ返してくれない。またつないで、という駆け引きが1分20秒間......」

   加藤「途中から無酸素状態になってくるんじゃないですか?」

   奥原「乳酸が溜まって、足がどんどん動かなくなってくる」「2ゲーム目は全く覚えてないです」

運動量で身長差をカバー

   森圭介アナがプサルラ選手の等身大の写真を持ってきた。身長179センチ。対して奥原選手は156センチだ。並んで立って見て、加藤が「春菜は?」「155センチです」とほぼ同じ。春菜がプサルラ選手の写真を見上げて「でっかい!」

   奥原「リーチも違いますから、打点も高いし、ディフェンスもよく伸びる。こっちは運動量でカバーしないといけない」

   森が勝因を並べて見せた。まずは攻撃的なレシーブ。ディフェンスで誘う。打たせて、カウンターでドライブ。次に自分が攻撃する。そういうのを今習得しているのだと。まだ完成していないという。

   加藤「対戦相手で変える」

   奥原「そうです。オリンピックの負けが悔しくて、対策を立てていた」

   2つ目は、苦しい時のコーチからの激励。朴柱奉コーチは元チャンピオン。それが、「簡単じゃないんだ」と声をかけてくれる。言葉の重み。

   3つ目は、人生初の夏休みで気分転換。「一週間もらって修学旅行をしてきました」

   加藤「休むことは必要ですね」

   それが本当の勝因かも。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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