「どうする家康」マメ知識
武田勝頼「運命の日」 援軍出さず家臣の心離れた
<歴史好きYouTuberの視点>

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   NHK大河ドラマ「どうする家康」。次回7月16日(2023年)放送回は「第27回 安土城の決闘」です。登録者数15万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、今週原稿で最も熱く語りたい「マメ知識」は?(ネタバレあり)

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身内すら「武田はもうダメだ」

   いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。『どうする家康』が何倍も面白くなる歴史知識をご紹介します。

   今回は、『どうする家康』で、ただの暗愚ではなく立派に役目を果たした勝頼の最後を詳しく解説していきたいと思います!

<勝頼の最期の始まり>

   天正10(1582)年2月1日、運命の日、武田の崩壊は木曾義昌の離反から始まってしまいました。木曾義仲の子孫を自称し地域に根付いていた義昌は、信玄の娘・真龍院殿をめとっていたにも関わらず、武田を見限って織田・徳川方に寝返ってしまいます。

   これには、岡部元信の高天神城を勝頼が救えなかったことが影響していたと考えられますね。この高天神城は敵との最前線で、その最前線に援軍を送れなかった勝頼は、武田の家臣たちから信用を落としてしまったわけです。

   そうして勝頼が木曾討伐をするために諏方に出陣したのを見計らい、駿河からは徳川家康、信濃からは織田信忠、飛騨からは金森長近、関東からは北条氏政、と全く容赦も隙もない進軍を織田信長は開始します。

   勝頼はもちろん同盟相手の上杉景勝へ援軍要請をするのですが、景勝は家臣である新発田重家の謀反に対応するので精一杯だった時でした。そのため勝頼は上杉の援軍も得られず、武田の一門にも謀反された状態で信長に立ち向かわねばならなかったのです。

<決定的だった梅雪の謀反>

   信長は武力だけでなく、宗教的にも武田を圧迫するために正親町天皇に「武田が滅びますように」と祈祷をさせました。信長はすでに朝廷に要請が出来る力を持っていたのですね。

   すると、祈りが通じてしまったかのように浅間山が48年ぶりに大噴火。天道思想が強かった時代、これを民衆までもが天意と思ってしまいました。

   こうして戦意も削がれてしまっている中、2月14日には飯田城を制圧したことで他の武田軍も次々と降伏、さらに17日には大島城も陥落してしまい、信玄の弟であった武田逍遥軒までも逃亡してしまいます。すでに身内すら、「武田はもうダメだ」と感じていたのでしょうか...。

   一方、この時勝頼はまだまだ織田と戦おうと諏方で待ち構えていましたが、穴山梅雪が離反したことで武田滅亡は決定的なものになってしまいました。家康が駿府を占領してすぐ、梅雪は織田・徳川方に寝返り、江尻城を明け渡してしまったのです。駿府占領からのこのスムーズな江尻城の明け渡しもあって、家康と梅雪はこの時すでに内通し合っていたとされています。梅雪は甲府にいる自分の人質を、勝頼陣営から力ずくで回収もしていました。

   こうした圧倒的に不利な状況で、勝頼は諏方から新府へ撤退します。兵もすでに8000人から1000人ほどまで減少してしまいました。戦うことなく武田が崩壊するとは、なんとも悲しいですね...。

   この時、勝頼の弟・高遠城の仁科信盛は、完全に孤立してしまった後、降伏を拒否し自刃してしまっていました。

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