【連載】ブロードバンド“闘争”東京めたりっく通信物語
55.ジャフコ社長の感動的な言葉「社会変革に貢献できたことを誇る」

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あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃

   翌日、6月3日、株式契約書調印は、小林君と一緒に無事済ませた。彼は株価については渋ったが、借金漬けの苦しい状況は私と同様で、ここを突いて何とか説得することに成功した。

   私が個人財産をはたいてまで最後の踏ん張りをしたことに理解を示してくれたのであろうと思う。これでソフトバンクは正式にTMC株の過半数を抑え、実質的な会社支配権を手に入れた。

   主要株主のジャフコと三和キャピタルは株価にはさすがに憤然としたが、これを逃せば次の出口があるのかないのかも分らないという私の観測に渋々納得してくれた。そんな状況なのに、ジャフコの村瀬社長からは次のような感動的な言葉をいただいた。

「たとえ損を出しても国運を変える社会変革の一角にベンチャーキャピタルが貢献できたことを誇りとしたい」

   腹底から搾り出すような言葉だった。

   これにはぐっと来た。私の社会的責任の方は、これだけ損を出させたら、誉められたものではないとは重々承知していた。

   なお、TMC株はすでに公開会社の株と同様の認定を関東法務局により受けていたから、ソフトバンクは公開買付(TOB)により全株を取得することになった。

   こうして一連の儀式が終了したが、我々は戦いが済んで日が暮れて、という境地にはなかなかたどり着けなかった。TMC買収の正式な外部発表はソフトバンク・ヤフー合同のADSL事業進出のセレモニーの後に回してくれという断りようもない要請が来ていたのである。

   孫氏、井上氏が大舞台を設けたあの電撃的な記者会見は、6月19日に予定されていた。TMCの記者会見は、6月21日とされた。それはそうだろう、晴れ舞台を下手な前座で汚すわけには行くまい。その配慮もあり、ソフトバンクによる買収は、それほどのインパクトを与えることもなく終わった。

   それでも、当時のマスコミ報道を読み返すと、社会的事件として大きく報道されたことが分る。時代の変わり目を論じ、ベンチャーの悲劇に同情的な論調であった。このような演出もあって、我々が債鬼に追われ株主に泣きつかれる日々はこの調印の後、3週間ほど続いたが、心は軽かった。

   なお、この待機の期間、忘れられないエピソードがあった。株式譲渡契約の数日後、孫氏側近から株券引渡しの緊急の依頼が舞い込んだのだ。引き渡しをその日のうちに完了したいという突然の乱暴な要請である。

   しかし創業者株式の株券は、新田君の管理の元に、1ヶ所に集めてあったのでかろうじて事なきを得た。株券と一緒に私も来いというので、16,800株が詰まったダンボール箱のお供をして箱崎に赴いた。そこに孫会長が待っていた。挨拶もそこそこに、2億1千万円の小切手を渡され、領収書を書けという。よほど急ぐ事情があったのだろう。

   目の前で見た商店主風の孫氏の言動は別の彼の顔として私の記憶に残ることになった。私はこの小切手をポケットに仕舞い、帰りすがら、もう、こうした波乱が最後のピリオドが打たれるまで二度と起こらないことを祈った。

   7月31日、TMCの臨時株主総会が開かれ、取締役の入れ替えが決議された。

   それ以前の6月末に、ジャフコの徳原さんは既に辞任を済ませていた。7月末まで辞表を預かり残留を求められていた私、小林君、梅山君、杉村君はこの日に辞任した。

   東條、小林両名は孫氏との約束で、梅山、杉村は自からの意思で職を辞した。それまでに数理技研や私などの個人借入は全て返済が終わっていたから、後顧の憂いは残らなかった。

   ただし、新田君は財務の責任者として、平野君はオペレーション担当として重任となった。新社長の信任が厚かったのだ。新社長となったのはあの橋本氏であった。また、大活躍した小野氏、そして胡澤氏が新任の取締役となった。

   だが、この時点で、TMCは事実上既に命脈を失っていた。新規顧客の獲得は許されず、既存顧客にはYahooBBへの移転を勧めることがソフトバンク内のミッションとなっていた。

   橋本氏は社長には就任したものの、この会社では彼の野心が満たされないのは、明らかであった。また、TMC社員のソフトバンク移籍も買収スケジュールの一環として、計画されていた。

   同じように、ソフトバンクが買収し、事実上TMCを吸収合併しても、TMCが有していた様々な財産は捨てられなかった。

   有線BNが目をつけていた都内電話局を網の目のように結ぶダークファイバーの先行的な利用権、都内50万回線分のADSL収納ライン、そして既に2年にわたりADSL敷設工事で熟達した技量を持つに至っていた社員たち、中でも希少価値のNTT組の建設工事技術者達、この値打ちの総計はソフトバンクが投資したと公表した100億円を優に凌駕するものであったろう。

   実際の負担は約40億円の繰延べ債務と5億円程度の公開買付による株式買取金であったから、これは安い買物というべきである。

   さらに全国展開の基地が大阪と名古屋に確固として築かれていたのだから、孫氏にとって、TMC買収の動機が何であれ、ソフトバンクはTMCを存分に利用し尽くし、次の発展を準備する礎とできた。

   こうして、1999年7月に誕生した東京めたりっく通信は、ちょうど丸2年の天寿を全うし、2001年7月に、独立系ベンチャーとしては永遠の眠りについた。同社が日本の通信事業に与えた貢献と獲得した栄光を、永遠に不滅なものとして歴史に刻まれて。この総会から、ほぼ2年後の2003年6月30日、東京めたりっく通信のサービスは静かに打ち切られ、最後まで残存ユーザーはすべてYahoo!BBサービスに移行した。その日、私の中の東京めたりっく通信も全てが終わった。


【著者プロフィール】
東條 巖(とうじょう いわお)株式会社数理技研取締役会長。 1944年、東京深川生まれ。東京大学工学部卒。同大学院中退の後79年、数理技研設立。東京インターネット誕生を経て、99年に東京めたりっく通信株式会社を創設、代表取締役に就任。2002年、株式会社数理技研社長に復帰、後に会長に退く。東京エンジェルズ社長、NextQ会長などを兼務し、ITベンチャー支援育成の日々を送る。

連載にあたってはJ-CASTニュースへ

東京めたりっく通信株式会社
1999年7月設立されたITベンチャー企業。日本のDSL回線(Digital Subscriber Line)を利用したインターネット常時接続サービスの草分け的存在。2001年6月にソフトバンクグループに買収されるまでにゼロからスタートし、全国で4万5千人のADSLユーザーを集めた。

写真
撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年~2003年)
鷹野晃
写真家高橋曻氏の助手から独立。人物ポートレート、旅などをテーマに、雑誌、企業PR誌を中心に活動。東京を題材とした写真も多く、著書に「夕暮れ東京」(淡交社2007年)がある。

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