震災と日本人 倫理学者 竹内整一 
連載(6) 「サムライ」日本の倫理意識

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   「週刊新潮」4月7日号(2011年)では、「命を捨てて命を救った「殉職者たち」の物語」が特集されている。庁舎で津波警報をアナウンスし続けてそのまま行方不明になった結婚後間もない女性市職員、避難を勧められてもそれを断わり、停電で鳴らないサイレン代わりの半鐘を叩き続け押し流されてしまった消防団員、唯一の連絡手段である衛星電話の確保に1階に戻り、取り外し手渡しながら、自分は津波に巻き込まれてしまった病院事務長――。

   こうした振舞いは、洋の東西を問わない英雄的行為であるが、今度のことで多数の海外メディアからとくに注目されているところには、日本人の、ある種の倫理意識のあり方を見てとることもできるように思う。

   それは戦前・戦中を通じて、海外から「ブシドー」「ハラキリ」「トッコー」と言われていたものの延長でもあるだろう。武士道とは、もともとは朝廷や貴族に仕え侍(さぶら)う戦闘員として登場してきた侍たちが、やがてみずからの生き方を「弓矢取る身の習い」として自覚化してきたところから始まっている。そこでの倫理意識は、利己としての「私」に執着することを超えて、他者との「場」を生き切ろうとすること、あるいは死のうとすることで貫かれている。それはひとり武士にとどまらず、ふつうの老若男女にもそれぞれの持ち場でそれぞれに求められてきた倫理観でもあった。

継承すべきを継承していく倫理伝統

   日本文化は「恥の文化」であると言ったのは、R・ベネディクトである。何よりも「場」を優先しようとする日本の文化・道徳を正しく言い当てたものであり、戦後の再出発として大事な反省点を提供した。が、ベネディクトの指摘には、「恥」が、単に世間体の外目を気にするものだけではなく、あるべき自分に恥じるという面のあること、あるいはまた、お天道様に恥じる、神・仏に恥じるという面があることが見落とされていた。

   やまと言葉「はづ」の「は」は、葉・歯・端など、本体から「外づ」れてはみ出した端のことであり、「はづ」とは、そのはみ出すという動詞である。つまり、「恥づ」とは、何らかの本体から「外づ」れてはみ出すこと、本来あるべき姿から外れることを意味していた。

   倫理伝統は、反省すべきものを反省しながら継承すべきものを継承するところに形成されていく。震災という大惨事の極限においてなされた尊い振舞いに心から敬意と哀悼の意を表するとともに、今なお各地で与えられた役割や職責に命懸けで取り組んでいる方々に、さらにはまた、ボランタリーに「場」に関与しようとする精神たちに心からの応援をおくりたい。

   一言補足。旧五千円札肖像者の新渡戸稲造は、仏教をふまえながら、武士道に「運命に対する安らかな信頼の感覚、不可避なものへの静かな服従、危険や災難を目前にしたときの禁欲的な平静さ、…」といったものを見いだしている(新渡戸稲造「武士道」)。ここにもまた、大いなる「おのずから」を「みずから」引き受けようという基本姿勢があるだろう。


##プロフィル 竹内整一
たけうち・せいいち/鎌倉女子大学教授、東京大学名誉教授。日本倫理学会会長。1946年長野県生まれ。専門は倫理学・日本思想史。日本人の精神的な歴史が現在に生きるわれわれに、どのように繋がっているのかを探求している。著書『「かなしみ」の哲学』『「はかなさ」と日本人』『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』ほか多数。3月25日に『花びらは散る 花は散らない』(角川選書)を新刊した。


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