2024年 4月 20日 (土)

島田紳助 芸能界に未練タラタラ「テレビに出れる人に戻してくれよ」

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「自分の中で確定していることが2つあります。『もう仕事はしない』『政治家にならない』。芸能界への未練はぜんぜんない。もうやり尽くしたと思っています。ただ、いつか『テレビに出れる人』にはしてほしい。一連の報道の中で、まるで島田紳助が犯罪者のようになっているのが嫌や。犯罪者やからテレビはNGという空気になっている。テレビに出れる人に戻してくれよというのはある」

   これは「週刊文春」の「島田紳助独占告白90分」で、8か月ぶりに沈黙を破った紳助(56)が語った言葉である。だが、スクープと謳っていないのはどうしたことなのか。読んでいくうちに、この記事は紳助が芸能界復帰のための第1歩ではないかと思いたくなる発言がそこかしこにある。だが、ともあれ彼のいい分を聞いてみよう。引退の理由は暴力団との交際だったのかと聞かれ、こう答えている。

「暴力団との交際がすべてではないんですよ。自分の中では違う理由があった。でもそれは会社の人にも言うてないことなんです。(中略)いろんな自分の中の思いがあり、年齢的な思いがあり、仕事への思いがあり。芸能界でやるべきことはやり尽くしたんじゃないかとか、このまま何もせんと終わってしまうのかとかね。芸能界の中で死に場所を探していたけど、ここちゃうんじゃないかとか。何十年も自分がこの仕事に携わってきて、夢見て、夢を達成してきた。でも夢を達成するということは夢を失っていくことじゃないですか。自分の夢がいっぱいあって、夢が消えていくなかで、いろんなことを五十過ぎたら感じるんですよね」

   要は、芸能人としてではない人生があるのではないかと思っていたところに、暴力団との話が出てきたので、潔く彼なりの美学を貫いたということのようだ。

   記者会見では暴力団とのツーショット写真の存在を否定し、「ウソを言っていたら、みんなの前で腹を切りますよ」と大見得を切ったのに、「フライデー」が暴力団と紳助のツーショット写真を掲載したことは、「ただ一つ、写真の件だけは僕のミスです。あの写真は何年前のか知らんけど、ホンマに記憶になかった」と、あっさり認めている。所有している不動産が暴力団が関与していたという報道に対しては、激しく否定している。

「それが一番腹が立つねん。僕は使いきれないくらいの十分な給料を貰っていました。マジメな話、そんな人間が『企業舎弟』とか『暴力団と地上げ』をするリスク背負うわけがないやないですか。そんなことしていたら、いまごろとっくに警察に逮捕されていますわ」

   逮捕情報もあったがという問いには、「逮捕どころか、警察に呼ばれてもいないでしょ。何でかと言うたら、不動産って売買記録が残っている訳です。いくらで買っていくらで売ったか。調べたら明らかなんですわ。高く買って、暴力団に裏金渡していたらアホですわ、俺」

あのとき謝罪して仕事を続けてもよかったと「後悔」

   女性関係については、「共演した女性タレントと全部関係あるみたいな書き方ですやん。男の友達もいるけど女の友達もいるでしょ。女友達で、書かれた中で95%はウソですわ。ゼロとは言わんけど」

   暴排条例のスケープゴートにされたと思うかという問いには、「ひとつの目玉になったんかな。人の悪口言うつもりはないけど、ヤクザと飯を食ったことのある人、いっぱいおるんちゃうの? 他の方も写真が出たり、会うたりしたんでしょ? なんで俺だけ? まったく一緒なのに、なんで俺だけ犯罪者みたいな言われ方をされなあかんの」と反論し、あの時「すいませんでした」と謝罪して、そのまま仕事を続けていてもよかったと「後悔」しているという。

   だが、それとは反対に、55歳でキッパリ芸能界を引退した上岡龍太郎を尊敬していて、ああなりたいと思っていたともいう。芸能界には、「あんだけ書かれて、そんなに嫌われてるんなら戻る必要はないわ、というのが正直な気持ち。こんな世界やったんかって、終わってからあらためて気がついた」と話す反面、「ただ、いつか『テレビに出れる人』には戻して欲しい」と、未練を口にもする。

   これからは世界中を旅行して回ろうと思っているようだ。一時は自殺まで考えたというが、「引退して苦しいこと、悔しいことばかりでした。でも生きているだけで人間、幸せなものなんです。いやー死なんで良かった、生きていて良かった。今ではホンマにそう思ってます」

   全体に綺麗事で終始し、警察に事情聴取もされていないことを何度も強調している。暴排条例が全国に施行され、紳助の引退をきっかけに大物演歌歌手や俳優たちと暴力団との付き合いが問題になったが、昨年暮れのNHK紅白歌合戦には何のお咎めもなく疑惑の歌手たちが多く出演していた。吉本興業の中田カウスにも何の咎めもない。警察が暴排条例を知らしめるために紳助をスケープゴートにしたと、批判されても仕方ないところは確かにある。

   そうした空気を読んで、紳助の芸能界復帰を仕掛けている人間がいるのも間違いないだろう。だが、芸能界は「こんな世界」だと気がついたのだから、紳助は2度と戻らないほうがいいと思うのだが。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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