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勘三郎がいなくなって歌舞伎を見る楽しみの半分がなくなってしまった
先に、この欄でも相当悪いと紹介した人気歌舞伎俳優・中村勘三郎が亡くなってしまった。ほぼ1年前に亡くなった立川談志師匠が、「お前がいないと寂しいよ」と呼んだのだろうか。享年57。談志師匠、いくらなんでも早すぎますよ!
師匠は勘三郎を可愛がっていたし、芸人としてはもちろん最高の評価をしていた。師匠が書いた『落語百選』(講談社・2000年刊)にも「中村勘九郎」(十八代目中村勘三郎を襲名したのは2005年から)を選び、こう書いている。
「『何という爽やかな、ほどのいい若者だろう』というのが勘九郎に対する第一印象であった。(中略)勘九郎に『喜怒哀楽の表現なんざァ、いとも簡単に出来るだろう。けど、それは歌舞伎という型の中での表現であり、それを突き抜けたとしても、家元の落語同様伝統芸の枠での抵抗だろう。そうでない表現、己の中にある衝動とそれらが観客の常識と一致しないが、それでなければ己が治まらないときがくるよ。絶対にくるネ。そのときが面白いネ。それは歌舞伎全体の問題(こと)でもあるが、それを背負(しよ)わされるのは中村勘九郎一人だろうネ‥‥‥』に、珍しく真剣な目をしてた」
シアターコクーンで「コクーン歌舞伎」を上演したり、野田秀樹脚本・演出による新作歌舞伎『野田版 研辰の討たれ』を歌舞伎座で上演するなど、次々に歌舞伎の枠を飛び出していくさまざまな試みに、師匠は暖かい拍手を送っていた。自分が古典落語と葛藤している姿と重なって見えていたのだろう。
昨日6日(2012年12月)、立川志らくの弟子、立川こしらと立川志ら乃の真打ち披露の祝宴で、談志師匠の弟の松岡由雄・立川企画社長が「勘三郎がいなくなって歌舞伎を見る楽しみの半分がなくなってしまった」と嘆息していたが、そのとおりである。