2024年 4月 20日 (土)

大震災「被災建物」撤去か保存か…体験風化させたくない!中学生たちが募金活動

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   2年余りが経過した東日本大震災の被災地では、、廃墟となった建物の解体が進みガレキが撤去されて、新しい街づくりのための広大な土地が広がっている。しかし、更地となっても、多くの命を奪った津波の力のすごさを象徴するような建物がまだそのままの姿で残されている。

   犠牲になった親族の辛い記憶がよみがえるので保存すべきでないという声、撤去すれば後世の人に悲惨な震災の教訓を伝えられなくなるという声など、保存をめぐって地元住民の間で議論が続いており、決められないでいるのだ。「クローズアップ現代」は岩手県大槌町の「旧町役場庁舎」と宮城県女川町の横転した3つのビルを例に、風化が懸念される震災の教訓をどうすれば後世に伝えることができるか取り上げた。

職員40人犠牲になった岩手県大槌町庁舎「見るの辛い」「いや、忘れる方が怖い」

   残された建物をどう捉え、誰がどのような方法で保存するのか。40人の役場職員の命が奪われた岩手県大槌町の旧町役場庁舎保存の是非をめぐって、有識者や遺族代表など11人による議論が始まったのは4か月前だ。このほど、ようやく周囲を公園にして庁舎の一部を震災遺構として保存する案が決まった。紆余曲折の末の結論だった。

   役場職員だった兄を奪われ、遺族代表として議論に参加した倉掘康(29)さんは「あれを見るものも嫌だし、あそこに行くのも辛い」と保存に強く反対した。同じ役場職員だった一人娘を亡くし、遺族代表の上野ヒデ(70)さんは「100年たとうが、200年たとうが、あれを残しておきたい。今の話ではないのです。残したくない気持は分かるんですよ。私自身、見るのは辛いですから。でも、その気持ちを忘れないでねと、私は言いたいのよ」と話す。

   議論が進まないなかで、専門家が全く違う視点で問題提起した。岩手県立大の豊島正幸教授がこういう。「昭和27年まで、高台にあった役場を中心に山沿いに住宅が広がっていました。昭和29年に役場が海沿いの低地に移転し、高度成長とともに人口が増加した昭和43年には新しい役場を中心に住宅広がり、平成13年にはさらに住宅地は海へと引き寄せられました。結局は、それで津波の被害が大きくなったと考えられます。その教訓を伝えるためには、今ある場所に残すという選択肢があるのではないでしょうか」

   そこで上野さんが17歳のときに経験したチリ地震の津波(昭和35年)を話し、「大槌町でもチリ被害が出たが、すぐに忘れ去られて、その教訓は生かされなかった」という。最終的には、高校生の「周囲を公園にして建物を保存すれば、子どもたちの遊び場にもなるし、震災の記憶も伝えられる」という案がキメ手になり、一部保存が決まった。

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