2024年 4月 20日 (土)

福島・浪江町が消えていく…国が方針転換「もう帰らなくてもいいんじゃないの!?」移住者にも賠償金

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   福島原発事故からまもなく3年になる。住み慣れたふるさとを離れ避難生活を余儀なくされている人たちはまだ14万人もいる。これら被害住民の人たちはいま、ふるさとへの帰還か断念か苦しい選択を迫られている。国が昨年12月(2013年)、ふるさとへ全員帰還の方針を覆し、よその土地への移住を選択する人にも賠償する方針を打ち出したからだ。さらに、今年3月末の除染完了の時期を3年間延長する方針も打ち出した。

   被害自治体では今後、帰還をあきらめ他所へ移住する人が増えると予測し、町づくりの根本から見直しせざるを得なくなっている。そうした自治体の苦悩、住民の苦渋の選択を避難住民が最も多い浪江町を通して探った。

何のための帰還準備・復興なのか…町役場に無力感

   福島第1原発から9キロの浪江町は、町の多くが帰還困難区域、居住制限区域で占められ、避難住民は2万1000人にもなる。全員帰還を目標に掲げてきた町では、ふるさとに帰りたいという住民が年々減少し、昨年夏に行なったアンケート調査では18.8%になっていた。国の方針転換で帰還を選択する人たちはますます減るのではないかという危機感が強まっている。

   昨年7月から日中の7時間だけ立入が許可されて以来、浪江町の渡邉文星副町長は避難先から週3回町役場に通っている。浪江町のなかでも放射線量が比較的低い役場には、34人の職員が同じように避難先から通って帰還・復興のための準備を進めてきた。壊滅的な被害を受けたインフラの整備計画や散り散りになった住民の所在の把握、国に対し早期の除染を求める働きかけ。渡邉はその陣頭に立ってきた。膨大な作業、遅れる除染。それでもみな諦めずに取り組んできた。

   しかし、国は他所へ移住し、新たに住宅を購入した場合は、元の住宅との差額を最大で75%賠償する施策を打ち出した。これでは町に戻る町民はさらに減り全員帰還は難しくなる。何のために復興に取り組んでいるのか。渡邉は改めて町民の気持を確かめたところ、帰れるなら帰りたいという意見が多かったが、多くの人が気持ちの支えを失いつつあることもわかってきたという。

   B‐1グルメ『浪江焼そば』を振舞って避難住民を励ましていた浪江町商工会のリーダー八島貞之は、家族を抱え新たな土地でゼロからスタートしたが、ふるさとに戻る希望を捨てきれずにいる。事故前は浪江町で鉄工所を営み、両親と妻、2人の子どもを養ってきた。しかし、被災後は家族の負担が大きく両親とは離れ離れだ。いわき市に家を買ったものの、移住先で仕事は見つからず、浪江町に隣接する南相馬市に単身移り鉄工所を借りた。浪江町の近くならばツテを頼って仕事が見込めると考えたからだが、甘かった。かつての取引先が戻っていないなかで、仕事は被災前の2割に留まっている。

   八島はいま従業員20人の生活を支えるために、除染作業や日雇い業務など本業と異なる仕事に頼らざるを得ない状況を続けながら、こんな感想をもらした。「『浪江の人たちはどうせ補償とか賠償とかしてもらうんだから、こっちまで来て仕事をしなくてもいいんじゃないの』なんていうことをチラッと言われたこともあります。やっぱりコミュニティーがあって、ふれあいがあって、仕事も生活もいろんな人に支えられて生活してこれたんだなとすごく実感しました。今は浮き草のように流されている感じがします」

   拠り所を失い、戸惑い、心の支えを探しあぐねている。この悩みは八島だけではなく、家族を抱える住民みなが抱える悩みだろう。

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