日本IT産業の現状日本のブロードバンドサービスは世界トップ級街頭で情報をチェックするビジネスマン 2000年のITバブル崩壊で日本のIT産業は一時マイナス成長に陥ったが、その後政府のeジャパン計画による膨大な予算投入などで業績は回復、成長を続けている。 eジャパン計画は、2005年度末までに日本がIT利用で世界最先端に立つことを目標にしている。そのため、高速インターネットアクセス(ブロードバンドアクセス)を4000万世帯にまで普及させることを目指している。2001年森内閣でスタートしたeジャパン計画は米国のNIIやシンガポールのIT2000などと同じ性格の政府計画だが、スタートは各国に比べ遅れた。しかし、IT分野の規制緩和と競争促進で、日本のブロードバンドサービスは価格と品質では世界トップクラスの水準を達成しており、インフラ分野の目標は達成されつつある。ただ、従来書類で処理されていた政府への申請手続きや許認可を電子化する計画は、一部企業では利用され始めたが、国民がその恩恵を享受できるまでには至っていない。 ブロードバンドサービスの料金水準はDSLで2000円から3000円、光ファイバーで6000円から7000円の水準にまで下がったが、定額制では、通信量が増加しても比例して収入が増えるわけではなく、ブロードバンドサービスを提供する各社とも利益を確保しにくい経営が続いている。 こうした経営難から通信業界の再編集約が進み、2004年10月現在、ITインフラ企業はNTT、KDDI、ソフトバンクの3グループに集約されつつある。新規参入した電力会社系のパワードコムも経営が軌道に乗るまでに至っていない。光ファイバーを収容する配電盤一方、ITインフラを支える通信業界では、大きな変動が起こりつつある。 固定電話市場は90年代から携帯電話の発展で伸び悩み、通信事業者の再編が進んだ。NTTは過去10年間に急速に普及した携帯電話に固定電話市場を奪われ、一時は6000万台を超えていた加入数が5000万台を下回る事態に追い込まれ、経営基盤が揺すぶられている。最近は、IP電話の普及で固定電話収入がさらに脅かされる恐れも出て、固定電話ビジネスの将来性に展望が見えない状態になり、NTTは経営形態の再々編成を模索している。固定電話市場における主なプレーヤーはNTTのほかに、KDDI、DDI、IDOが合併したKDDI、旧日本テレコムを傘下におさめたソフトバンクと電力会社系の通信各社の4グループに集約されている。放送のデジタル化急ピッチ 日本のテレビ放送は1953年から始まり、ほぼ全世帯に普及しているが、放送衛星(BS)によるアナログ放送が1989年からスタート、NHKがハイビジョンを含む3チャンネルと民放1チャンネルで放送をしている。NHKはハイビジョン実用化に自信を得て、同方式を世界標準にするよう各国に働きかけたが、1990年ごろから始まったデジタル化の動きにアナログハイビジョンの国際標準化を断念した。これとは別に、通信衛星(CS)を利用した多チャンネルテレビ放送も1996年からデジタル化が進み、200チャンネルにも及ぶ放送が開始された。ルパート・マードック率いるニューズ社のJSKYB、米ヒューズ社のディレクTVが参入したが、プラットフォームの乱立による経営不振が続き、JSKYBはパーフェクTVと合併、ディレクTVは撤退した。 BS放送のデジタル化も2001年末から始まり、既存の地上波テレビ局5社もいっせいにBSデジタル放送に参入した。 2004年に通信回線を利用した、IPテレビ放送がスタート、KDDI、ソフトバンクグループのヤフーBBTV、NTTグループのぷららTVほか、ISPやベンチャー企業の参入も相次いでいる。CS放送チャンネルの多くがブロードバンドIP放送に進出、新たな競争が始まっている。 一方、地上波テレビのデジタル化は米英に遅れて、2003年から首都圏など3大都市圏でスタートした。地上デジタル放送を受信するには専用のチューナーあるいはデジタルテレビが必要で、政府は2006年のドイツW杯に1200万台を、2011年までにデジタル化へ移行完了を目標にしているが、このペースでは目標達成は難しいとの見方が出ている。 放送局側も莫大(ばく・だい)なデジタル化投資が必要なため、民放地方局が投資負担に耐えられるか、大きな問題になっている。 衛星から直接携帯端末にテレビ放送を送るモバイル放送も始まり、テレビ業界は混戦模様となっている。歴史1985年まで国家独占 日本の通信産業は明治政府の近代国家建設とほぼ並行して発展してきた。 経営形態は、欧州各国と同様、国家の独占事業であり、1985年まで国家独占が続いた。歴代の家庭用電話機歴代の公衆電話 第2次世界大戦で日本の通信網は壊滅的打撃を受けたが、1953年から国内通信は日本電電公社、国際通信は株式会社でありながら政府の管轄下にあったKDDが、それぞれの分野を独占、民間企業の自由な参入は許されなかった。 国家独占ながら戦後の通信網復旧は急速に進み、1979年にはダイヤルを使って全国にかけることができるようになり、通信網の整備は着実に進んだ。しかし、独占事業の非効率、無駄遣いなどが次第に表面化し、1980年代の行政改革の中で、政府は英国のBT民営化にならい、電電公社の民営化を進めた。通信事業への競争政策も導入された。1985年の民営化後、長距離分野で国鉄系の日本テレコム、民間から第二電電(DDI)、道路公団系の日本高速通信などが参入した。国際通信には二社が参入した。その結果、長距離、国際電話の通話料は次第に低下、競争の成果が現れた。それまで電電ファミリーと呼ばれた少数の企業群によって独占されていた通信機器の市場開放も進み、端末の自由な販売で、電話機の価格も低下した。NTTが分離、分割される長距離分野の競争は進んだものの、市内通信分野は民営化されたNTTの独占が続き、NTTの分離、分割を求める声が競争事業者、通信政策当局からあがった。 この論争は民営化後10年以上続き、1999年、NTTは持ち株会社のもと、長距離、国際通信のNTTコミュニケーションズ、地域通信を受け持つNTT東日本、西日本の3社に分離、分割された。携帯電話会社のNTTドコモは1992年に一足早くNTTから分離された。 通信市場は外資にも開放され、BT、AT&T、ケーブルアンドワイヤレスなどが資本参加などの形で参入したが、激しい市場競争に敗れ、外資は相次いで撤退した。iモードが爆発的に普及 日本の携帯電話普及台数は2004年に8000万台を超え、携帯電話サービスは1979年から自動車電話サービスとしてスタートしていたが、市場が爆発したのは1994年、デジタル携帯に周波数が割り当てられ、新たな競争が始まってからだ。 市場爆発のもうひとつの要因は、1999年に導入されたiモードと呼ばれる携帯電話からのインターネットアクセスサービス。着信音に好きなメロディーを選べる着メロサービス、ゲーム配信、時刻表配信サービスなど携帯電話によるインターネットアクセスは日本で独特の発展を見せた。携帯のテンキーだけによるメール文字入力は若者の得意技となった。カメラつき携帯も若者の支持を獲得、インターネットと携帯の融合が急速に進んでいる。 携帯向けサービスではさまざまなコンテンツプロバイダーが出現した。携帯電話会社や他の決済サービスを利用して、1カ月数百円以下という手ごろな価格設定が成功の要因となった。事業規模を拡大した企業は海外進出を始めた。展望光ファイバー網敷設進むのかNTT東日本は光ファイバーで企業、家庭に高速インターネット通信を提供するDSL、光ファイバー、CATVによる高速インターネットアクセスが可能な世帯は現在1600万世帯を超えた。普及率では韓国に負けるが、高速アクセス、料金水準のなどで、日本のブロードバンド市場は世界トップレベルにある。電電公社時代、通信回線のデータ通信への利用は公社に独占され、民間の自由利用が制約されていた。このため日本のデータ通信は1980年代まで大きく遅れ、産業界から批判の声があがった。電電民営化後は自由になったものの、NTTの通信設備のアンバンドル政策が遅れ、加入者回線のDSL利用は韓国に比べても遅れていた。しかし、1999年加入者回線のアンバンドル、通信機能の要素ごとに卸売りできる制度が決まり、多くのDSL事業者が高速インターネットアクセスサービスに参入した。特に、ソフトバンクグループが超低料金でDSLサービスを開始したのが引き金になって普及に拍車がかかり、サービスの高速化も進展した。NTTはDSLサービスでソフトバンクにトップシェアを奪われ、二位に甘んじている。このため光ファイバーによるブロードバンドサービスに力点を置き、2004年10月では光加入者は160万加入にのぼっている。ただ、NTTが敷設する光ファイバーは他事業者に開放する義務が課され、KDDIはこの光ファイバーを借りてブロードバンドサービスを展開している。このためNTTは投資インセンティブがわかないと不満を募らせている。IP電話で新たな値下げ競争販売店に並ぶさまざまな携帯電話NTTは2004年3月期の連結決算で過去最高の経常利益をあげたが、そのほとんどはドコモの稼ぎで、地域会社、長距離会社の収益力は伸び悩んだ。リストラによる合理化効果が消えたら、各社の収益が悪化するのは避けられない。ライバルのソフトバンク、KDDIとも2004年末からドライカッパーを利用した、市内市外一通の電話事業に参入を表明しており、基本料金の引き下げでNTTからの顧客獲得を目指している。対抗上NTTも2005年1月からの基本料金引き下げを表明、収益力はさらに悪化することが予想される。 さらにブロードバンド環境を利用したIP電話が普及すれば、電話料金収入は一層打撃を受けるのは確実である。 対抗策としてNTTは光ファイバーによる双方向、高速サービスを利用したRENA構想を打ち出している。固定電話のネットワークからIPネットワークへの移行は新たな挑戦であるが、NTTに課されたユニバーサルサービスを維持しつつ、IP化へ移行することは、時間との戦いともなっている。第三世代登場で携帯新サービス携帯電話がインターネットアクセスの有力手段になっているが、世界に先駆けてWCDMA、CDMA20001Xなど第三世代携帯サービスも始まり、テレビ電話、高速データ通信に利用され始めた。携帯に決済機能が組み込まれ、財布代わりに利用したり、テレビ放送を携帯で受信したりするサービスも始まっている。携帯電話がユビキタス時代にも有力な情報端末となる可能性が出てきた。携帯電話はNTTドコモ、KDDIグループのau、ボーダフォンの3社に集約されたが 2004年9月、ソフトバンクグループが800メガヘルツ帯で新規参入を表明、2ギガヘルツ帯でもTDCDMA技術を利用した携帯電話で新規参入の動きがある。 携帯電話加入者はすでに8000万を超え、新規加入は頭打ちの状態。ここにソフトバンクグループが参入したら、既存各社からシェアを奪うための価格競争を仕掛けるのではないか、との見方が有力だ。
記事に戻る