2024年 4月 24日 (水)

【連載】ブロードバンド“闘争”東京めたりっく通信物語
36. やがてブロードバンド時代がやってくるという確信

「あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃
「あのときの東京(1999年~2003年)」 撮影 鷹野 晃

   TMCのサービスの特徴は、単にADSL回線を提供するに留まらず、この高速デジタル回線にインターネットサービスを付加して提供した事にある。

   もっと正確にいうなら、ダイアルアップか専用線、ISDN通信方式を選択し、加えて、インターネット接続事業者を選択しなければならないという日本のインターネットアクセスの絶望的な状況を根底から覆す事にあった。

   高速インターネットアクセスで常時接続によるサービスを望むユーザーにワンステップで直接届ける事が我々の情熱の根源であった。その本質は高速アクセス回線つきのインターネットサービスプロバイダーである。

   ただし、TMCのビジネスモデルは、既存のISPと敵対するつもりなど毛頭なかった。我々が生み出した市場はそれ以前には存在しない全く新しい市場であり、しかも急激な成長(膨張)が予測されていた。

   我々は、既存のISPにADSL回線を提供するのも事業の一環として当初から位置付けていた。これについて若干説明を加える。

   日本にもやがてインターネット・ブロードバンド時代がやってくるであろうという確信は通信事業者の世界で既に常識になっていた。

   この考え方は2000年初頭、イージャパン政策のお陰もあり、一般の人達にも広く浸透していた。その先頭にいるのがADSLインフラ建設の槌音を東京中に響かせているTMCであることもかなりの数の人達に知れ渡ってきた。

   ADSLはではあり得ないとNTTは強弁してきたが、どうやらその威信も今回は通用しないようだ。郵政省のNTTに対する行政指導から、この一介のベンチャーを突撃隊に仕立て、国家政策としてNTTに路線転換を迫っているようにしか見えない。

   こうした世情の変化を受けて、この年初めから夏にかけて、我々は多くの通信事業者、とりわけ全国規模で事業展開している有力ISPと事業提携の話し合いを頻繁に持つこととなった。どのISPもADSLサービスの提供で他社に遅れを取ることをなによりも恐れていた。

   それまでも、通信スピードや定額通信料金制の魅力でユーザーを競合企業に奪われ、奪還することの困難さに苦労を重ねてきたからだ。

   当社に回線提供サービスを望む声は真剣であり、提供価格や品質、提供時期、回線数などの条件を詰める営業活動が活発に展開されることとなった。

   おおざっぱに言えば、日本の有力ISPは3種類あった。

   その一番手はNifty、Biglobeなどパソコン通信やVANの流れを組むISP。第二番手がOCN、DION、K-COMなど法人ユーザーを主たるターゲットとした通信事業者系ISP。第3番手が東京インターネットを買収したPSIネットや鳴り物入りで登場したAOLのような外資系ISPだ。

   TMCの後発ADSLキャリア、イー・アクセスとアッカは、もっぱらこのISP市場をターゲットにすることに迷いはなかったようである。

   我々はこのようにISPに通信回線貸しをするビジネスをホールセールと呼んでいた。その利点は、顧客獲得と顧客管理は個々のISPに任せるので、販売管理費を最低限に抑えることができる。欠点は当然ながら利が薄いことである。薄利多売が身上であるから、数十万規模以上のユーザーをISPから回して貰えなければ、利益を産めない。

   このビジネスモデルの一番手は、イー・アクセスであった。同社は、我々に匹敵する以上の資金をこの年の春に海外から取得したが、翌年、ソフトバンクがあのBBブームを巻き起こすまでは、過半を金庫に納めておくだけの事業展開しかできなかったと聞いている。アッカの場合、ホールセールに関しても、出遅れ、結局NTTコミュニケーションの傘下に収められた。

   さて、我々だが、すでに述べたが、ISP業も回線提供業も併営する総合サービスの事業展開を目指していた。従って、ホールセールはいざという場合の安全地帯として残しておいた。この幅の取り方は正解であったと言えよう。

   しかし、我々は翌年の資金難による経営危機を克服できず、実現はしなかった。

   その後、我が社と全く同型のビジネスモデルでYahoo!BBが登場し、我々同様NTTを相手にして、熾烈な戦いを繰り広げた。

   それに対し、イー・アクセスやアッカのようなホールセールモデルはさほど難しくなかったのであろう。それだけ2001年以後の日本のADSL市場の爆発的拡大は多数の新規参入企業が共存する事を許容する規模にまで拡大した。


【著者プロフィール】
東條 巖(とうじょう いわお)株式会社数理技研取締役会長。 1944年、東京深川生まれ。東京大学工学部卒。同大学院中退の後79年、数理技研設立。東京インターネット誕生を経て、99年に東京めたりっく通信株式会社を創設、代表取締役に就任。2002年、株式会社数理技研社長に復帰、後に会長に退く。東京エンジェルズ社長、NextQ会長などを兼務し、ITベンチャー支援育成の日々を送る。

連載にあたってはJ-CASTニュースへ

東京めたりっく通信株式会社
1999年7月設立されたITベンチャー企業。日本のDSL回線(Digital Subscriber Line)を利用したインターネット常時接続サービスの草分け的存在。2001年6月にソフトバンクグループに買収されるまでにゼロからスタートし、全国で4万5千人のADSLユーザーを集めた。

写真
撮影 鷹野 晃
あのときの東京(1999年~2003年)
鷹野晃
写真家高橋曻氏の助手から独立。人物ポートレート、旅などをテーマに、雑誌、企業PR誌を中心に活動。東京を題材とした写真も多く、著書に「夕暮れ東京」(淡交社2007年)がある。

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