あのときの東京(1999年~2003年)」撮影 鷹野 晃2000年1月に社長に就いた私は、早速、債務繰延べ工作に取り掛かる。あと最低3ヶ月、場合によっては更に2、3ヶ月、資金調達に目途が立つまで、この会社を回転させておかねばならない。この回転が止まれば、資金調達の前提である生きた事業価値を資金調達先に示せなくなることは必定だ。回転が止まって事業そのものが無価値となれば、二束三文で会社を叩き売るしかなくなる。これは絶対に避けねばならない。1月の段階でこの四半期に支払期限が来る債務は前述しように25億円ほどに達していた。TMCの信用力で支払延期してきた買掛金もある。ただし、手形は1枚も振り出していない。不渡り手形が発生して、銀行取引停止で営業継続が不可能になる最悪の事態はまずは避けられる。この25億円は狡知の限りを尽くした工作で何としても繰延べよう。また、前に述べたように、各月収支の赤字分平均2億円は運転資金として黙って出てゆく。多少のコスト削減で遣り繰りが出来る金額ではない。これもできる限り支払延期して繰延べるしかない。ただし、給料や家賃の支払いを止めれば会社の回転は止まるから、全額という訳にはゆかない。債務繰延べは相手のある交渉話だ。相手が渋々でも引き下がってくれる説得力、これを我々はどこに求めるのか。第一には、TMCの果たす社会的役割への人間的な共感に頼ることだ。つまり情実に訴えることだ。だがADSL解禁の時勢となって、その先駆的インパクトは薄れつつあることを留意せねばならない。第二には、合理性のある将来支払計画の提示だ。これは、もう一方で工作している資金調達の進み具合にかかっている。これが上手くゆかなければ、提示しても、絵に描いた餅となってしまう。せいぜい、匂わせて安心感を得てもらうしかない。こうした交渉を基本的には私が全部引き受けた。というか、向こうは最高責任者である社長に会うことで、引き下がり様も出てくるのだ。だが、強力な助手が必要だった。これは、役目上、財務担当役員の新田君が引受けてくれた。人との応接物腰が柔らかく人情の機微に富んだ彼の性格は、この役にぴったりであった。その後、様々な交渉上の困難を何とか乗り越えられたのは、東京下町っ子という共通のルーツで呼吸が合っていたからであろうと思う。こうして詳細の交渉過程は省くが3月末の債務繰延べ工作の成果は以下のようであった。【1.NTTグループ】NTTファシリティーズ11億2千万円 116電話局工事代金NTTコミュニケーションズ1億1千万円 中継線等ATM回線利用料NTT―PC9千万円 インターネット上位接続料NTT東日本4億7千万円 コロケーション費用等(言い値)(合計)17億9千万円【2.通信設備・装置関係】ノーテル9億9千万円 DSLAM、アグリゲータ等ラインテック1億3千万円 通信装置収容ラック・局設置TDK、リコー等9千万円 各種通信機器(合計)12億1千万円【3.広告費、開発費】交友社5.5千万円 パンフ等日本情報通信5.4千万円 受付・設備管理システム(合計)1億1千万円【繰延遅延債務総合計】繰延遅延債務総合計 32億円この内容から、NTTグループへの延滞債務に占める割合が圧倒的に高く50%を越えていた。NTTの土俵に駆け上がって相撲を取るビジネスとはいえ、一丁事があればこの大独占がTMCを呑み込む(あるいは吐き出す)ことを示唆する数字に私は戦慄を覚えた。事実、支払延期先で、最も性質が悪く、執拗で、陰険なところは、NTTグループであった。悪質貸し金業者もかくやと思われる「取り立て」攻勢に我々は晒された。醜吏の無慈悲さの面目躍如たるものだ。その中で、NTT東日本は例外であった。それというのも、債務の大部分を占めたコロケーション費用(約4億7千万円)に関しては、郵政省の監視下に置かれた協議事項にかかる支払いであったからだ。従って、他社は12月までは支払いを実行していたのに対し、NTT東日本に対しては一切支払いを実行していなかった。一種の供託状態にあったのだ。また、シャスタ、プロマトリーを買収し子会社化し、TMCの主要通信装置とDSL機器の納入を手中にしていた世界企業のノーテル社は、ビジネスの常道で、殺すより生かす方を選んでくれた。生き残る脈筋を我々の弁明の中から汲み取ってくれたようだ。広い意味の投資と考えてくれたのかもしれない。大崎にあった日本支社にこまめに足を運び、状況報告を繰り返すだけで事なきを得ていた。NTTファシリティーズとは仲が良かった。局内工事一切を取り仕切って貰ったこの会社にとって、TMCは大の得意先であり、メタル線工事市場開拓の恩人であったからだ。宴会もよくやったし共同事業を何か始めようと誘われてもいた。しかし、年初からの同社への支払いが滞ると、この良好な対応は一挙に冷却に向かった。NTT地域会社から大量の工事受注が入ったせいかもしれない。まずは泣き落としに来た。支払いがなされなければ役員昇進目前のプロジェクト責任者であった定年退職者の首が飛ぶという。知ったことか、私は人事担当役員ではない。払えぬものは払えぬ。でも払え払えと執拗に会社にやってくる。この執拗さ業務妨害に近かった。私の指1本でももいで来いと言われているに違いない。収まるか収まらぬか分からぬが、局内配置ラックへの質権設定を私は匂わせた。これは効いた。指どころか腕をもいだ気分だったのだろう。たちまち100電話局500本のラックに質札が貼られる。役所の登記もする。完全なる嫌がらせである。流したところで、収納した器材撤収やケーブル工事もあるから、値打ちはないも同然である。でもこれで社内の格好はついたのか、3月以後はおとなしくなった。これと対照的に3月以後、威丈高になってきたのがNTTコミュニケーションズである。こちらの恫喝はすさまじかった。ATM回線をこれから切ります、この脅しの電話が連日ように新田君の所に入るようになった。切れるものなら切ってみな、そんな度胸があるなら。これがこちらの対応である。だが腹の中だけで口には出せない。出せばどのように歪曲されて利用されるか知れたものではない。不払いの詫びを言ってじっと耐えるしかない。彼らの態度は子供っぽく不遜もいいところであった。鼠を捕らえ一気に殺さず、もて遊ぶ猫のようであった。会議という名目で何度かにわたり日比谷の本社にある密室状態の地下会議室に私と新田君を呼びつけ、10人ほどの男たちが取り囲んで、数時間に渡って恫喝し続けるのである。それも実に楽しげに。こちらが、金はない、しかし当てはある、今話をつけている最中だといっても絶対に信用しない。最初から犯人扱いである。「この詐欺師め」という罵倒も飛び出す。今すぐにATM切断できる自分たちの権限や、回線料を払わず潰れたISPの例などを上げて「払います」という言質を引き出さねばやまず、拷問で落とす、という調子である。だが、相手が悪かった。我々は全然動じない。回線切断すれば世論沙汰となることを彼らもよく知っているはずだ。こちらも主要なマスコミへは回線切断時には緊急記者会見を催す手はずは整えてあった。従って、今はひたすら沈黙、これが戦法だ。最初に手を出したほうが負けだ。会議は双方疲れ果てて時間切れとなる。こんなやり取りで、なんとか最後までこの不払いを貫徹し、サービスオペレーションを守りきった。いまとなれば楽しい思い出であるが、当時は冷や汗ものであったことも確かだ。ただ、いよいよの時、彼らに回線切断というギロチンを落とさせるのも、面白い趣向かもしれないと考えたりしていた。
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