2019年 3月 21日 (木)

「最初の軽井沢テニス」は偶然だった 「(皇太子さまを)負かしちゃったわ」
元「お妃選び班記者」が推理する「テニスコートの恋」の「真相」(3)

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   「(皇太子さまをテニスで)負かしちゃったわ」――美智子さまは当時の友人らにこう無邪気に語られた。

   「お妃選び取材班」担当だった元朝日新聞記者の佐伯晋さん(81)に、皇太子さまがたの「『テニスコートの恋』をめぐる虚実」に関する推理を聞くインタビュー第2部の3回目は、お妃選びで旧華族の線が厳しくなる中、お妃決定へ向け「奮闘」する選考首脳らの姿について語ってもらう。

「田島日記」にも「軽井沢テニス」は全く出てこない

お二人が初めてテニスをされた軽井沢会のコートは現在もある(北軽井沢ブルーベリーYGH提供)。
お二人が初めてテニスをされた軽井沢会のコートは現在もある(北軽井沢ブルーベリーYGH提供)。

   ご婚約が決まる1958年(11月)の前年、57年10月の東京・調布でのテニスに皇太子さまが学友を通じて美智子さんをお誘いになった段階では、皇太子さまはまだ「恋に落ちた」わけではなく、「気にはなっている」段階だ、という推理を前回話しました。

   一方の美智子さんは、1957年9月にあった聖心女子大の同窓会で、8月の軽井沢での皇太子さまとの初テニスのときに家族の知人から撮ってもらった写真を持参し、「(皇太子さまを試合で)負かしちゃったわ」と話しています。

   仮にすでに恋愛感情が芽生えていたとすれば、こんな場所で写真を友人らに見せびらかしたりするはずがありません。

   以上のような点から「1957年8月軽井沢テニス」が2人の恋の出発点、という説は否定できると思っています。

   また「1957年8月軽井沢テニス」は、お妃選考首脳らによるお膳立てではなく、偶然だと考える理由は次の通りです。

   第1部でも登場した選考首脳のひとりで、前宮内庁長官だった田島道治さんがつけていた「田島日記」にも「1957年8月の軽井沢テニス」は全く出てこないし、後の回顧文で「偶然だった」と書いた別の選考首脳もいます。偶然とみるべきでしょう。

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