2019年 12月 9日 (月)

「そごうのドン」102歳の大往生 水島広雄氏、波瀾万丈、百貨店の浮沈を体現

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   そごう(現そごう・西武)のトップに40年近く君臨し、巨大百貨店グループを築き上げた水島広雄氏が2014年7月28日、心不全のため死去した。102歳の大往生だった。高度成長、バブル経済の波に乗り、わずか3店舗だったそごうを、日本一の売上高を誇る百貨店グループに育て上げた。

   その半面、バブル崩壊後は積極出店がたたって経営破たん。逮捕、有罪確定を経験するなど波瀾万丈の人生だった。

一時は世界に40店まで拡大

「そごうのドン」死去でそごう・西武グループはどうなる(写真はそごう千葉店)
「そごうのドン」死去でそごう・西武グループはどうなる(写真はそごう千葉店)

   水島氏は1912年4月生まれ。1936年に中央大法学部を卒業し、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行した。銀行時代の1953年に「浮動担保の研究」という論文を発表して、法学博士号を取得。不動産だけでなく、企業の成長力や経営者も担保になるという理論で、のちの「企業担保法」法制化につなげたことでも知られる。

   1958年にそごう副社長に転じ、1962年に社長就任。1994年に会長に就き、2000年に会長を退くまで、そごうのトップに君臨した。

   1830年、十合伊兵衛が大阪で興した「大和屋」を起源とするそごうは、老舗百貨店の一角だったが、水島氏が移った当時は大阪、神戸、東京の3店舗だけという弱小百貨店に過ぎなかった。だが水島氏のリーダーシップで、不動産を担保にして銀行から資金を借り入れ、出店を重ねる手法で店舗網を拡大。1990年代には国内30店舗、海外を含めると40店舗を超える巨大グループに飛躍した。

   こうした手法は、ダイエーなどにも共通するもので、右肩上がりの経済成長と「土地神話」を前提に成り立っている。バブルがはじけ、日本経済が停滞し、地価が下落を始めると、担保価値が下落し、経営は傾いた。2000年7月には当時としては過去最大となる1兆8700億円の負債を抱え、民事再生法の適用を申請、事実上倒産した。水島氏は差し押さえを逃れるために預金を隠したとして強制執行妨害罪に問われ、2006年に有罪が確定している。

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