2024年 4月 19日 (金)

LED訴訟決着から10年、いまだ「しこり」消えず 古巣の日亜化学工業は「中村氏個人の開発技術だけではない」

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   青色発光ダイオード(LED)の開発者、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(60)のノーベル物理学賞受賞を受け、かつての勤務先である日亜化学工業(徳島県)がコメントを発表した。

   発明対価をめぐる訴訟にも発展した「古巣」からのお祝いメッセージは、「大変喜ばしい」とする一方で、開発における社全体の貢献を強調するものだった。

和解後も両者不満「対価は過大」「日本の司法は腐ってる」

ノーベル賞受賞を紹介するカリフォルニア大学HP(画像はスクリーンショット)
ノーベル賞受賞を紹介するカリフォルニア大学HP(画像はスクリーンショット)

   中村氏は1979年に日亜化学工業に技術者として入社した。半導体の開発に10年間携わった後、辞職を覚悟で当時の社長だった小川信雄氏(故人)に青色LEDの開発を直談判し、開発費の支出と米国留学の許可を取り付けた。「窒化ガリウム」という素材に注目して、青色LEDの製造装置に関する技術開発に成功。実用化につなげた。

   日亜は1993年に世界で初めて青色LEDの製品化を発表、業績を伸ばすこととなったが、当時中村氏が受け取った報奨金はわずか2万円だった。1999年に日亜を退社し、2年後の2001年に職務発明の対価をめぐって訴訟を起こした。1審では日亜側に200億円の支払いが命じられたが、2005年に高裁判決で和解し、中村氏には約8億円が支払われた。この裁判は発明対価訴訟の象徴的なものとなった。

   ただ、和解という形にはなったものの両者とも本当の意味では納得していなかったようだ。日亜は「相当対価は過大なもの」との立場で、支払いを決めた理由については、

「今後、中村氏との間で起こるであろう紛争が一気に解決され、それに要する役員・従業員の労力を当社の本来的業務に注ぐことができる点や、将来の訴訟費用を負担しなくて済む点を考慮した」

と説明していた。

   一方の中村氏も和解成立後の会見で「日本の司法制度は腐っている」とぶちまけていた。研究に専念するためもあり、弁護士と相談して和解を決めたそうで、裁判自体は「完全な負け」だと不満をあらわにしていた。

日亜「社として一丸となってやっていた」

   両者のわだかまりは訴訟終結から約10年たった現在でも払拭できていないようだ。

   ノーベル賞受賞が決まった2014年10月7日の会見で、中村氏は研究持続の原動力について聞かれると「怒りだ」と答え、日亜との対立を改めて説明した。

   一方の日亜は7日、中村氏の受賞に際して次のコメントを発表した。

「日本人がノーベル賞を受賞したことは大変喜ばしいことです。とりわけ受賞理由が、中村氏を含む多くの日亜化学社員と企業努力によって実現した青色LEDであることは、光関連技術の日亜化学にとっても誇らしいことです。今後とも関係者各位のご活躍をお祈り申し上げます」

   報道の中には「独力で大量生産技術を開発」と孤軍奮闘ぶりを強調しているものもあるが、日亜のコメントは、中村氏の受賞は個人の力だけでなく、当時中村氏が在籍していた日亜全体の貢献によるものだと強調しているように受け取れる。

   和解成立時に発表された社長のコメントに「特に青色LED発明が一人でなく、多くの人々の努力・工夫の賜物である事をご理解いただけた点は、大きな成果と考えます」という一文があったが、これと通じるものがある。

   このコメントの真意についてJ-CASTニュースが日亜に尋ねてみると、広報担当者は「中村氏が進めていた青色LEDの開発には多くの社員が携わり、また貢献していた」と話した。具体的な貢献については

「青色LEDの製品は中村氏個人の開発技術だけでなく、さまざまな要素や技術が組み合わさってできている。分担していたので、共同開発したものや、中村氏が直接関わっていないものもある。社として一丸となってやっていたものなので、こうした表現になった。必要な研究機材の投資を社が行ったという側面もある」(広報担当者)

と説明した。

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