クビになった選手たちの最後の望みをかけた場がトライアウトである。そこにかつてのアイドル新垣渚投手がいた。プロの世界の厳しさの縮図だ。2016年のプロ野球トライアウトが行われたのは11月12日、甲子園球場。投手42人を含む計64人が集まった。ドラフト拒否でスカウトが自殺テストを受けた新垣は参加選手の中でもっとも有名だった。とりわけアマ時代は実績十分で、将来の大物としてプロ入りした。沖縄水産高の本格エースとして1998年、甲子園の春夏に出場。151㌔の速球を投げ、一躍注目された。1回戦負けにもかかわらずアジア野球選手権の日本代表に選ばれたほどだった。同期に松坂大輔がいる。九州共立大時代は日米大学選手権のメンバーに入った。ただ素質豊かゆえに事件に巻き込まれた。高校3年生のとき、ドラフト会議でオリックスとダイエー(現ソフトバンク)から1位指名を受けた結果、抽選でオリックスが交渉権を獲得した。ところが入団を拒否。「ダイエー以外なら大学に進学する」ここから悲劇の幕が開く。オリックスの三輪田勝利スカウトが那覇市で投身自殺したのである。新垣獲得に失敗したのが原因とされている。三輪田は投手として中京商、早大から大昭和製紙を経て中日入り。無名だったイチローを発掘した名スカウトといわれた。葬儀のとき、イチローが棺に愛用のバットを入れたという。こんな逆風に遭いながら新垣は進学した。「大学で活躍することが(三輪田さんへの)恩返しと思います」故障と5度の最多暴投で安定を欠く4年後の2003年、自由枠(現在はない)でダイエー入団。初志を貫いた。翌年から3年連続2ケタ勝利。奪三振のタイトルも取った。しかし、07年の25暴投を含む5度の最多暴投が示すように、荒っぽい投球が安定感を欠いた。そのうえ故障が足を引っ張り、勝てなくなった。14年にヤクルト移籍。今季は6試合に登板、1勝2敗。二軍でも勝ち星なしの7敗。かつての力強いピッチングを失っていた。トライアウトは打者3人と対戦。すべて抑えた。「今日で終わってもいい、と思って投げた。悔いなく投げることができた」投げ終わった感想である。プロの世界はとてつもなく厳しい。若い頃の新垣を知る者にとって、トライアウト参加は意外な出来事である。本人もそう思っているのではないか。高校時代、ともに争った松坂も無残な姿で、再起へ必死の挑戦中だ。それでも億の年俸を保障されてソフトバンクに在籍している。新垣が1位指名されたチームにである。(敬称略スポーツジャーナリスト・菅谷齊)
記事に戻る