2024年 4月 18日 (木)

保阪正康の「不可視の視点」 
明治維新150年でふり返る近代日本(3) 
帝国主義的「国家像」と「国民像」(その1)

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   幕末、維新、そして明治新政府のもとで、日本が選択すべき国家像として四つの国の形があった。そのうちの第一の道、つまり後発の帝国主義国としての道を日本は選択することになった、というのがこれまで記してきた内容である。この道は独自の国民像を必要とする。

   今回はこの国民像は、もともとの日本人の国民的性格と合致していたのか否か、を検証してみたい。

  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
    ノンフィクション作家の保阪正康さん
  • 富岡製糸場の稼働など、明治政府は殖産興業を推し進めた
    富岡製糸場の稼働など、明治政府は殖産興業を推し進めた
  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
  • 富岡製糸場の稼働など、明治政府は殖産興業を推し進めた

「富国強兵」「脱亜入欧」「殖産興業」で求められる国民性とは

   帝国主義国としての道を選ぶまでの明治期の日本は、20年近くの時間を要している。明治初年代は各地の不平士族の反乱や西南戦争に象徴されるように、国家像のありようをめぐって内乱まがいの蜂起が起こっている。明治10年代には、板垣退助らによる自由民権運動の波が全国に及んでいる。つまり帝国主義国家としての政治体制は、このような反乱や反政府運動をとにかく弾圧し終えてから、伊藤博文らによる新しい憲法制定の動きが軌道に乗っていくことでやっと形をつくっていく。

   このときまでの20年間近くの間に、四つの国家像のいずれかを選択することが可能だったというのが私の説になるわけだが、後発の帝国主義像を具体化するために「富国強兵」「脱亜入欧」「殖産興業」などの方向を新政府は目ざしていくことになる。

   こうした方向で求められる国民像とはどんなものだったか。つまり国民の価値観にはどのようなものが要求されることになるのか。これはすぐに推測できる。急速に西欧帝国主義に追いつくには、次のような徳目が必要とされるはずである。

   第一は立身出世主義。学歴などにより個人の能力を測り、そこに序列を持ちこむ。
   第二に文化的な価値観や知識より軍事を尊ぶ。良き日本人は武にすぐれた人びととする。
   第三に個を抹殺し、エリートに指導される集団の一員としての自覚。
   第四に勤労を尊び、とにかく真面目に働き続けて共同体の範になる。
   第五は君主制に対しての絶対的服従。天皇を家長とする家庭的共同体の枠組みに常にとどまる。

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