2024年 4月 17日 (水)

保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(10)
大久保が目指したのは「連邦制国家」なのか

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   大久保利通がテロに倒れたのは、明治11(1878)年5月14日の午前である。大久保は馬車に乗って役所に向かう途中の紀尾井町で士族の島田一郎ら5人に襲われ、斬殺された。島田らは西郷を討伐した大久保に憎悪の感情でこの挙に出たのである。

   彼らが手にしていた斬奸状には、5点が挙げられていたのだが、そこには「公議を途絶し、民権を抑圧し、政治を私すること」「慷慨忠節の士を疎外し、憂国敵愾の徒を嫌疑し、もって内乱を醸成すること」などがあった。大久保の持つ近代的な政治感覚が否定されていると言ってもよかった。この期のこうしたテロは、江戸時代の価値観に浸かった士族の新時代への抵抗ともいえたのだが、同時に日本人のごく平均的なモラル(復讐の正当性)とも合致しやすい側面があった。

  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
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  • 大久保利通が目指した国家像は…
    大久保利通が目指した国家像は…
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テロに国民が賛意示す空気

   それは情念の迸りといった意味もある。こうしたテロは大正期、昭和期にも繰り返された。そのテロに国民が賛意を示すといった空気がこの国の軍事主導体制を補完することになった。

   大久保は、この日の朝に会議に出席し、任地に帰る福島県令の山吉盛典の挨拶を自宅で受けた。興が乗ったのか、大久保は自らの国家ビジョンを説いている。それをわかりやすく書くならば、次のようになる。

《ご維新からの十年、今やっと事態は鎮定し、国内の体制も落ち着いた。この十年の混乱のあとの十年は、ご維新の土台固めである。内政を改革し整備を進め、国力の一層の充実を図る期間である。このことが私の成さねばならぬ重要な仕事である。そのための自信もある。そしてそのあとの十年は第一期、第二期の完成をめざす時期である。第二期に、私が成さねばならぬことについては腹案もある。》

   大久保が配下の者に語ったこれらのビジョンは結果的に明らかにされずに終わった。しかし大久保の腹案の一端について、推測することは可能である。これは私の推測を交えてのビジョンであるが、大政奉還を名実共にしていくとの思惑がここからはくみ取れる。大久保は生来、政治家の資質を持つ人物であると評されている。このことについて作家の南条範夫が書いているその像がもっとも的確である。

「容易に笑顔を見せぬ、口数の少ない、精悍峻厳な相貌、つねに微塵も崩れない端然たる態度、人々に恐れられはしたが、親しまれることはなかった」(『明治天皇と元勲』)

   つまり大久保には、冷徹に計算のできる政治家としての資質があった。この性格で描いていた明治10年代の国家ビジョンとはどのようなものだったかを推測していくのである。

倒幕に馳せ参じた有力藩に一定の権力を与える案

   大久保の国家ビジョンが、その後伊藤博文、山県有朋らに引き継がれ、帝国主義国家の道(このシリーズで私が挙げている第一の道になるのだが)を歩んだ。それが公式の見解である。しかし大久保の考えの中に、王政復古そのものに賛意を示していた経緯、さらには幕末から維新にかけての政権の移り変わり時に幕府を討つ信念の強さなどをみていくと、大久保は第2期の中心に王政復古を据えつつ朝廷と倒幕派の協力政権を模索したというべきだろう。それにより朝廷を中央政府の中心として、倒幕に馳せ参じた有力藩に一定の権力を認めるといった形の国家像を作り得たのではないかと、私には思える。

   その有力藩は薩摩、長州、土佐などになるのだが、こういた有力藩の潜在的なエネルギーをむしろ国家的枠組みに組み込まないで、いくつかの周辺の藩を合体させ、地方政権に一定の自治を認めるのである。そうした手腕はむろん大久保には充分に備わっていた。こういう構想の方が、むしろ大久保には向いていたように思えるのだ。この形が最終的に連邦制国家たりうるか、については曖昧ではあるが、国力の裾野は広がるのではないかと思える。

   いわばこれが第四の連邦制国家への道筋になるのではないか、と考えて改めて明治維新の150年という枠組みを追いかけて見たいのである。この道はもとより不可視の歴史であり、あり得た可能性は大久保が死去することでまったく消え去った。しかし当時の変革そのものが日々変化の繰り返しであったことを思えば、各様の選択肢自体は想定してもおかしくない。いやむしろ想定することが最大の歴史教育になるのではないかと考えられるのだ。

   私の考える幕末、維新時の国家像について、これまで大まかな枠組みは記述してきた。そこでこの四つの国家像をさらに可視(現実の史実)と不可視(もしこちらを選択していたらの史実)の視点で歴史勉強を試みたい。いわば明治維新150年という節目で、私たちの国はどのような可能性を秘めていたのか、あるいは選択を誤っての近現代史だったのか、を考えることは決して無駄にはなるまい。(第11回に続く)




プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。

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