2024年 4月 19日 (金)

なぜ貴乃花は理事長になれなかったのか 故・北の湖との決定的な違い

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   日本相撲協会を2018年10月1日付で退職した元貴乃花親方。平成最初で最後の一代年寄として将来を嘱望されながらも志半ばで角界と決別した。現役時代、22度の幕内優勝を誇り、角界の屋台骨を支え続けた平成の大横綱は、ついに協会のトップに就くことは出来なかった。

   長い相撲の歴史の中で協会から一代年寄を与えられたのは、大鵬、北の湖、貴乃花の3人だけである。一代年寄とは、協会が現役時代に多大な功績を残した力士に与えるもので、本人一代に限って有効な年寄で、千代の富士は協会からの授与が決まっていたが、本人の意向により辞退した。

   一代年寄で初めて協会のトップに登りつめたのが北の湖親方だった。大鵬と北の湖、事実上の一代年寄の千代の富士はすでに鬼籍に入っており、元貴乃花親方が唯一、生存する一代年寄だった。その元貴乃花親方が協会を去り、現在、角界に一代年寄は存在しない。

  • 貴乃花親方(2018年9月25日撮影)
    貴乃花親方(2018年9月25日撮影)
  • 貴乃花親方(2018年9月25日撮影)

現役引退後の明と暗

   現役時代、北の湖、貴乃花ともに大横綱として綱を張ってきた。北の湖は強すぎる横綱として、大鵬の「巨人・大鵬・卵焼き」に対して、「江川・ピーマン・北の湖」と揶揄されたほど、憎らしいほど強い横綱だった。一方の貴乃花は、実兄・若乃花と若貴ブームを巻き起こし、低迷していた平成の土俵を盛り上げ続けた。

   現役を退いてから協会における出世のスピードもまた同様に順調だった。北の湖は引退から3年後、貴乃花は5年後に審判部副部長に昇進。理事になったのは貴乃花の方が早く、引退から7年目での異例の出世を果たしたのに対して北の湖が理事職に就いたのは引退から11年後のことだった。

   理事就任後、順調に出世街道を歩んで理事長の座をつかんだ北の湖。対照的に貴乃花の理事での職は、審判部長が最高で、2018年の理事選では票を集めることが出来ずに落選。その後は弟子の不祥事などもあり平年寄まで降格した。

   北の湖は「情」の人と言われる。あまりの強さからファンからはヒールと見られていたが、先輩力士には礼儀を欠かず、後輩に対する面倒見がよく、力士の仲間内では人望が厚かった。

   北の湖を象徴するエピソードがある。

   引退直後、師匠の三保ヶ関親方が、実の父と1日違いで亡くなった。同じ日に葬儀が行われることになったが、北の湖は「(三保ヶ関親方は)自分にとっては親以上の恩人」として、父の葬儀を欠席した。

   また、輪湖時代を築いたライバル輪島に対しても最後まで気遣った。年寄株問題で角界を去った輪島に、相撲を忘れてほしくないという思いから毎場所、番付表と取組表を送り続けた。協会を追われるような形だった輪島は、北の湖の心遣いに感謝し、番付表と取組表を大事に保管しておいたという。

千代の富士とも共通した弱点

   弟子からの信頼も厚かった。北の湖親方の付け人を長く勤め、9月場所限りで引退したロシア出身の大露羅(山響部屋)は、「北の湖部屋に入れたのは一番良かった」と振り勝った。来日間もないころ、実の父が亡くなった際、北の湖親方に「オヤジと呼んでいいですか」と申し入れ、以来、親方を「オヤジ」と呼んでいた。

   貴乃花は親方になってから弟子の育成に関しては評価が高く、弟子もまた親方に心を寄せていたが、協会内での人望は北の湖親方に遠く及ばない。若くして脳梗塞を患った大鵬は別として、千代の富士もまた貴乃花と同様に人望のなさから理事長になることが出来なったという。

   「情」の北の湖親方に対して、今回の騒動における貴乃花親方の一連の言動はその真逆であった。これこそが、同じ一代年寄ながら両者の運命を分けたのだろうか。

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