2020年 9月 19日 (土)

増田明美さんのトリビア解説が生まれたワケ きっかけとなった「辛い思い」とは

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   全日本大学駅伝が2018年11月4日、愛知・熱田神宮西門前-三重・伊勢神宮内宮宇治橋前(8区間106・8キロ)で行われ、青学大が5時間13分11秒で2年ぶり2度目の優勝を果たした。史上初の2度目の大学駅伝3冠を目指す青学大の走りに注目が集まる中、元マラソン選手の増田明美さんのトリビア解説が話題となっている。

   陸上の大会ではすでにおなじみとなっている増田さんの細かすぎる解説。全日本大学駅伝では監督車に乗り込み、各大学の監督をリポートしつつ、選手の細かすぎる情報を惜しみなく提供した。

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弁当を食べる様子の食レポも

   「テレ朝陸上」のツイッターでは、テレビ放送では見られなかった増田さんのリポートをアップ。増田さんお得意の監督、選手紹介にはじまり、青学大の原監督が弁当を食べる様子を食レポするなど、この日も「増田節」全開だった。

   増田さんの解説の特徴は、選手のプライベートに迫ること。常に選手目線で解説し、家族にまつわるエピソードを引き出して解説することでも有名だ。女子マラソンのパイオニアであり、五輪出場の経験を持つ増田さんはなぜ競技性に特化する解説を行わないのか。その真相に迫ってみる。

   千葉県出身の増田さんは中学3年生の時に、800メートルで千葉県の新記録を樹立して県大会を制覇。高校は陸上の名門・成田高に進学すると、その才能は一気に開花し、5000メートル、1万メートルと、次々に日本記録を塗り替えた。

   高校3年時の初マラソンで2時間36分34秒の日本最高記録をマークし、川崎製鉄千葉に入社すると本格的にマラソンに転向。女子マラソンが正式種目となった1984年ロサンゼルス五輪に日本代表として出場した。

   増田さんの競技人生を語る上で、常につきまとうのが故障との戦いだ。強い時は独走態勢からぶっちぎりでゴールするが、体調が悪い時の増田さんは、レースの途中棄権も多かった。1984年ロスアンゼルス五輪では重度のプレッシャーから体調を崩し、16キロ付近で途中棄権した。

   五輪後に引退し、その2年後に復帰したものの、相次ぐ故障の影響で増田さんが第一線で活躍する姿を見ることは出来なかった。

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