2020年 2月 29日 (土)

大槻義彦教授が振り返る「オカルトの平成史」 「最近は敵がいなくて寂しい」

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大槻教授と「火の玉」と「プラズマ」

   インタビューが終盤に差し掛かると、大槻さんは自身と科学の関わりについて話し始めた。

「私が科学を志したきっかけ、それこそ、実は『火の玉』だったんです。私は小学生の時に火の玉を見ているんですが、私の出身地域である東北では『ヒカリモノ』と言うんですが、そのヒカリモノを見たことで、『将来、科学者になってこれを絶対に解明してやるぞ!』と心に決めたんです。ただ、実際に科学者になったとしても、すぐには火の玉の研究はできません。突飛なことを始めたと思われると、研究費を干されてしまいますからね。でも、国際的な放射線学会の日本代表理事などをやってある程度の地位を確立できたので、そういう頃合いを見計らって、1985年頃から火の玉の研究を始めました」

   当時は諸外国、中でもソ連では火の玉の研究が盛んで、真空中での火の玉作成はすでに成功していたが、大気中での火の玉の作成には誰一人として成功していなかった。大槻さんは、その大気中での火の玉の作成に挑んだのだ。

「初めのうちは試行錯誤の連続でしたが、それでも、最終的にはケージの中ではありますが、大気中で火の玉を作ることに成功しました。子供の頃の夢だった火の玉を、ついに解明できた瞬間でした。火の玉はプラズマだったんです!」

   子供の頃からの目標をついに達成した大槻さん。また、大学院生時代から放射線を専門に研究を進めてきたのは、『火の玉はプラズマではないか?』との疑問を学部生時代から抱いていたからということも明かしてくれた。

「本当に、いつの日か火の玉を解明してやろうと思っていました。そのために、プラズマの研究がやりやすい放射線を専門に選んだのです!」

   火の玉の研究とは、まさしく大槻先生が人生を賭けて挑んだ研究だったのだ。

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