2019年 11月 19日 (火)

忌野清志郎さん死去から10年 今も彼を愛し続ける人たち

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   2019年5月2日、RCサクセションのボーカルでロックミュージシャンの故・忌野清志郎さんが亡くなって10年が経った。

   平成が終わり、新時代に突入した今でも彼を愛する人は絶えない。

  • 東京・日本武道館で行われたイベントの写真(2013年5月2日、J-CASTニュース撮影)
    東京・日本武道館で行われたイベントの写真(2013年5月2日、J-CASTニュース撮影)

まだまだ愛し合っていたい

   清志郎さんは1970年にRCサクセションのボーカルとしてデビュー。当初はアコースティックのバンド編成であったが、エレキギターを導入し音楽性が変化した。

   日本のロックスタンダードとして知られる「雨あがりの夜空に」や1980年のライブアルバム「RHAPSODY」のヒットでブレイクした。その後も「トランジスタ・ラジオ」など日本ロック史に残る名曲の数々とライブパフォーマンスで人気を不動のものにした。

   ソロ活動でも数々の足跡を残した。ドナルド・ダック・ダンさんやスティーブ・クロッパーさんらとのレコーディング、Little Screaming Revue時代に「君が代」をパンクロックアレンジにして発売中止になるなどブルージーでロックな道のりを歩んだ。

   日本のロックを触れる上で避けて通れない人物だが、彼にも病魔が襲った。2006年7月に咽頭がんで入院。一旦は「忌野清志郎 完全復活祭」を日本武道館で開催するなど回復したように見えたが、がんの転移で再び活動を休止し、2009年5月2日にがん性リンパ管症のため58歳でこの世を去った。

   その7日後の葬儀式「青山ロックン・ロール・ショー」にはファン約4万2000人が訪れ別れを惜しんだ。

   当時は報道でも多く触れられ、当時15歳だった筆者も訃報で彼を知ったが、同世代の友人には同じ経緯で知った人も少なくなかった。

   知った時にはこの世にいない。あまりに寂しい出会いであったが、盟友の仲井戸麗市さんら清志郎さんを愛するミュージシャンたちの取り組みはそれをかき消してくれた。

   11年から「忌野清志郎ロックン・ロール・ショー」と題したイベントが日本武道館や渋谷公会堂などで実施。彼の音楽史を辿るライブはその偉大さを感じるには十分すぎた。

   18年は開催がなかったが、19年5月4日には「忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー 日比谷野外大音楽堂 Love&Peace 2019年5月4日 ~FINAL~」が行われる。

   テレビでも功績を振り返る番組が放送される。イベント開催日と同じ5月4日にNHK BSで13年放送のドラマ「忌野清志郎 トランジスタ・ラジオ」の再放送、NHK総合では「NHK映像ファイル あの人に会いたい」のアンコール放送が行われる。

   朝日新聞は5月2日付朝刊(東京本社14版)の天声人語で忌野清志郎さんの話題を取り上げた。

   そしてSNS上ではファンからのコメントが多数寄せられた。

「私にとって、『僕の好きな先生』みたいな存在が清志郎さんでした」
「これからもずっと忘れません」
「清志郎さんはもういない おとなはかんたんにくじけちゃいけない」

   また、東京・高尾霊園にある墓所やRCサクセションの楽曲タイトルにもなった「たまらん坂(多摩蘭坂)」を訪れたとの報告もある。

   苦しいとき、弱っているとき、悲しい時、いつも清志郎さんが助けてくれて、寄り添ってくれた。CDやレコード、DVDだけでなくその存在をより近くで感じたい。

   10年経った今もこうした人が後を絶えない。大人になっても、子どもができても、シワができても、まだまだ彼が好きで、いてくれなければ困る――何から何まで清志郎さんがわかっていてくれる。そんな気がして思いを寄せてしまう。

(J-CASTニュース編集部 大山雄也)

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