2019年 11月 19日 (火)

ぼくが入管をやめた理由 なぜ、今の法律は「時代と合っていない」のか

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   2019年3月末、東京入国管理局(現:東京出入国在留管理局、以下入管)を退職した木下洋一さん(54)は、出入国管理及び難民認定法(入管法)について「当事者や関係者に優しくない入管法は時代と合っていない」と訴えている。

   自ら立ち上げた「入管問題救援センター」の代表として今後、「体験したことなどをシェアしていきたい」と話す。J-CASTニュースは、木下さんに話を聞いた。

  • 「入管法は時代と合っていない」と話す木下さん
    「入管法は時代と合っていない」と話す木下さん

公安調査庁での違和感

   バブル世代に学生時代を過ごした。

「特に志もなく大学に通い、ほとんど行かずにアルバイト三昧。政治的な関心もまったくなく、ノンポリでずっと過ごしてきました。学校なんてほとんど行かなかったので留年をして、4年生を2回続ける。当時、景気がよかったので内定をいくつももらったりしている友達もたくさんいたが、わたしは非常にモラトリアムな人間だったのでなにも動かず、1年間じっくり考えようと。景気もいいし何とかなるんじゃないかと簡単に考えていました」

   留年が決まり、卒業できないと判明した時点で、「このままでいいのか」と気持ちに変化が訪れる。「大学に行ったはいいけども遊びほうけて、学問らしきものってまったくしてなかったとちょっと感じまして。せめて大学に行ってちゃんと勉強したんだ、という証みたいなものがほしかった」。木下さんは、公務員試験を受ける。「一応大学レベルの学力は修めた証明にはなるのかなというような感じで公務員試験を受けた。わたしの目的はそもそも公務員になるため、特に公務員試験を受けたわけではなく、ただ自分の怠け心に対する1つのエクスキューズとして公務員試験を受けた」。

   試験には無事合格した。「一つのぼくの目標は達していたので、本来だったらそこからもう1回考えればよかったと思うが、そのままずるずる公務員の道に行ってしまった」。

   1989年に公務員生活をスタートさせた。初めに勤めたのは、公安調査庁だった。「公安調査庁に行った理由は、単に公務員らしからぬ、しかもなんかゼロゼロセブン(007)みたいな『かっこよさそうな仕事』だなと思って行った。ただそれだけの理由なんですね」。

   入庁したものの組織にはなじめなかった。「ぼく自身の中で、違和感がありました。初めの1年2年は、若いじゃないですか。ちょっとおかしいなと思いながらも勢いで乗り切れてしまうところがある。ただ、ちょっと組織の現状がおかしいなと思っていても、いろんなものをただしていったり、革命的に組織を変えていったり、というような気概はあったと思う」。

   転機は、95年にオウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件だった。「あのころ、公安調査庁は斜陽産業だった。過激派などがどんどん下火になっていた時期で、不要論とかが叫ばれていたと思います。ぼくも不要だと思っていました。明らかにこんなところいらないなと、今でも思っています。そこでオウム真理教が事件を起こし、公安調査庁が一躍脚光を浴びた。そこで組織が浮かれているような感じがちょっと感じられて、いやだったんですね」。

   事件に巻き込まれた犠牲者の遺族にも会いに行ったことがあった。「つらかったです。つらい思いをしたが公安調査庁の業務として何も生かされなかったというような。遺族のお話を聞きましたが、オウムの規制とかに私の目から見ると実感として直結していくようには思えなかった」。木下さんの中で公安調査庁への違和感が膨らんでいった。「30歳を過ぎたころぐらいからは、『とにかく出たい、出たい』の一心。どこでもいいから出してくれと」。

「まだ行ったこともない、見たこともない母国とやらに送還していいのか」

   公安調査庁と人材交流のあった入管に移った。2001年のころだ。06年、不法滞在者らを対象とした審判部門に配属となった。入管法で定める退去強制事由の該当者に特別な事情があれば認める、在留特別許可に関する業務に携わった。「オーバーステイ(不法滞在)とひとくくりに言えない。ぼくの視野は広くなったような気がします」と木下さんは振り返る。

「いろんなケースを見ていて、ビザがない一家とかを見るわけですよね。お父さん、お母さんも、日本で生まれた子どももビザがない。そういう人が強制送還されていく、退去強制命令を受ける、というようなのを目の当たりにした。一家でみんな帰されることがあって、ちょっといろいろ考えるところがありました。初めてそこで、今までの見方が変わったような気がします」
「お父さんやお母さんたちはいい大人だから、ビザが無くて日本に来ることがどういう結果を招くのかはわかっている。大人はちゃんとした責任があると思うが、やはり子どもをどう扱うか。子どもに関してはまったく何の責任もないわけです。当時、小学校以下の子はなかなか在留が認められなかった。当時、ぼくの次男が小学校に入っていて同じくらいだった。自分の子どもオーバーラップさせていた。子どもを、まだ行ったこともない、見たこともない母国とやらに送還していいのかと疑問を感じた」

   他方、06年のころ、法務省側は「不法滞在者5年半減計画」に取り組んでいた。計画は、04年から08年までの間続いた。

「それを達成するための一番効果的な方法が、非正規在留者に在留特別許可を与えて正規在留者にすること。それは当時の入管の利益、半減する計画とマッチングしていた。ですので、無理筋の不許可とかそういうようなのはあまりなかったと思いますね。ある子はいい、ある子はだめ、みたいなのはあまりなかったような気もする。子どもに関しては、へんな意味で平等だったっていうのかな。いろいろ強烈な違和感みたいなのを覚えていた反面、行政全体としてはそれなりの公平性を保っていたのはぼくの印象です」

   他の部門への異動を経て16年、再び審判部門に戻ったが、厳格な審査に舵を切り、雰囲気は厳しくなっていた。「在留特別許可の件数は圧倒的に少なくなっているんですよ。1つの案件に非常に時間をかけるようになってきたので、以前は普通に許可になっているようなものに関しても、なかなか許可にならなかった。この半減計画が終わった事実は大きいことだなと、半減計画の中にいて審査をやっていた人間としては思いましたね」。

「ぼくは政治をやっているような気がしてならなかった」

   木下さんは、職員が裁量で審査できる状況に疑問を持っていた。

「外国人側は10年前だろうが今だろうが、在留形態は変わってないわけですよ。だけども同じようなものでも10年後は不許可です。政治的裁量だとかこの自由裁量論で片付けられるのかなって思いました。世の中の状況がいろいろ変わっていくのは分かるが、行政府、行政庁の人間、行政官たる職員が政治をやっちゃだめじゃないですか。ぼくは政治をやっているような気がしてならなかった。日本から追放する、あるいは在留を特別に認めるのは、政治的判断というのであれば、やはり高度な次元での判断になるはずだけども、なんかストリート(現場)レベルでの話でそういうようなことが行われているような気がしてならなかったですね」

   入管法の表現にも疑問を抱く。

「法律が限定的に解釈できるような建て付けになっていれば、そんなに悩まないと思うんです。でも、これだけ不確定概念がちりばめられているものであると、いろんな解釈がなりたちうる。個々の解釈でできてしまうところがある。完全にフリーハンドでなんでもできちゃう自由裁量感みたいなようなものを、ちょっと入管では感じましたかね。たとえば、『相当』だとか『適当』という言葉がいっぱい出てくるが、なにをもって『相当』だとか『適当』だという入管全体としての統一的なものはなくて、個々の職員がそれぞれの裁量で、『これが適当』だとか『これが相当』だとかいうようなのを推し量っているような、自由裁量感みたいなようものを、ちょっと入管では感じましたかね。特に最近。10年前の半減計画の時は感じなかった」

   入管行政に対する疑念が募っていった。

   17年、「法的な裏付けやバックボーン」を身に付けようと、大学院に入学。入学した時点で、入管をやめることを想定していなかったが、気持ちに変化が生じる。「研究にのめりこんでいくと、後戻りができなくなったっていうのかな。それまで折り合いをつけてやってきた。おかしいと思っても。でも、学問的裏付けを自分で持ってしまうと自分をごまかせない。見て見ぬふりをしていたが、それがちょっとできなくなった」。19年3月末、木下さんは入管を退職した。

「共生の時代だというのであれば...」

   「究極的にぼくは、入管法を変えたい」。木下さんはこう力説して、次のように語っていた。

「違反者は基本的には収容されなければならない法律だが、実際うまく回ってないじゃないですか。だって全件収容主義なんてどう考えったって建前ですよ」

   法務省によると、19年1月1日時点で、日本には7万4000人以上の不法滞在者がいる。「いま、7万人ぐらいの非正規在留者がいるっていいますが、7万人を捕まえて収容する場所なんかない」。

   1つの組織の中で決定が完結する恐ろしさにも触れる。

「出入国在留管理庁、一つの組織ですべて完結しちゃう怖さも感じますよね。摘発するのも職員、収容するのも職員。審査するのも職員。で、最後の決定をするのも職員。普通だったらそこに第三者の関与があるはずですよ、裁判所の関与だとか。入管は収容するのに、裁判所の令状はいらないですからね」

   収容は退去強制手続きの一環。木下さんは、「すべて行政手続きなので、収容も行政処分の一環としてやる。でも実際は身体の拘束を伴い、人身の自由に影響している。自由と密接にかかわっています。準司法的な手続きであることは間違いないわけじゃないですか」と疑問を投げかける。「入管職員だけの手で摘発から国外追放まで一連で、どこも(第三者が)コミットしないわけですよね。これはやっぱり、ぼくは極めて不健全だと思います。まずシステムを変えないとだめ」。

   木下さんは、在留期間の更新を定める入管法21条の表現にも疑問を投げかける。3項では、「前項の規定による申請があつた場合には、法務大臣は、当該外国人が提出した文書により在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り、これを許可することができる」としているが、木下さんは、「この言い回しからして、『許可してやってるぞ』、という言い回しですよ」と指摘する。

「少なくとも外国人の出入国にかかる法律に関しては、『人権』という言葉をこれから使わなければいけないような気がします。仮に使わないにしても、もうこういうような古い表現、ぼく言わせると古い表現、古い表現だとか、古いシステム制度はおさらばすべきだ、と思っています」

   入管行政の問題点をなぜ語るのか。木下さんは、「ぼくは内部告発者ではないんです」としたうえで、次のように語り掛ける。

「日本の退去強制システム自体が入管法含めて、見直しの時期にとっくにきているかなと思っている。ましてや外国人材だ、共生の時代だというのであれば、システムを変えてほしい。人権もへったくれもない」

(J-CASTニュース編集部 田中美知生)

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