2019年 10月 18日 (金)

甲子園V投手が見る「佐々木の登板回避」 自分ならば「監督に『投げさせてほしい』と頼んでいた」

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   大船渡高校の163キロ右腕・佐々木朗希投手(3年)の起用問題が大きな波紋を呼んでいる。全国高校野球選手権岩手大会決勝で、国保陽平監督(32)が佐々木を起用せずに敗れたことに関して、プロ、アマチュア野球関係者をはじめとし、様々な議論がなされている。ワイドショーでもこの話題が取り上げられるなど、世間を巻き込んでの論争に発展。佐々木投手の起用について「賛否両論」があるなかで、J-CASTニュース編集部は、元甲子園の優勝投手で、横浜ベイスターズ(現DeNA)で活躍した下窪陽介氏(40)に話を聞いた。

   下窪氏は、1996年の第68回選抜高等学校野球大会に鹿児島実業高等学校のエースとして出場し、決勝で智弁和歌山高を破り優勝。同大会では5試合すべてを1人で投げ抜き、春夏通じて鹿児島県勢初の全国制覇を成し遂げた。プロのスカウトが注目するほどの力を持っていた下窪氏だったが、その夏の地方大会決勝戦で右肩を剥離骨折。夏の甲子園出場を決めたものの、大学進学後は高校時代に肩を酷使した影響で右肩を故障して野手に転向。2006年のドラフトで横浜から指名され、野手として4年間、プロ生活を送った。

  • 高校時代を振り返る下窪陽介氏(2018年撮影)
    高校時代を振り返る下窪陽介氏(2018年撮影)

「今回の問題は非常に難しいものだと思います」

   まず、岩手大会での佐々木が登板した試合を振り返ってみる。佐々木は7月16日の2回戦(遠野緑峰戦)で今大会初登板し2回で19球を投じて無失点に抑えている。18日には中1日で3回戦(一戸戦)に登板。6回被安打ゼロの無失点で、球数は「93」。中2日で挑んだ21日の4回戦(盛岡四戦)では12回を投げて2失点。球数は「194」に上った。そして一関工との準決勝(24日)では129球の完封勝利。4試合で計435球を投じた佐々木に対して、国保監督は「故障を防ぐ」として、翌日25日の決勝戦の起用を回避した。

   「今回の問題は非常に難しいものだと思います」。下窪氏はこう前置きして次のように続けた。

「私の場合、高校生の時にプロを意識したことはありませんでした。ですから甲子園に出場して優勝することが最大の目標でした。当時、地方予選からほとんど私ひとりで投げていましたし、自分が投げる、投げたいという気持ちが非常に強かったです。高校卒業後に野球を続けるかどうかさえ分かりませんでしたので、私にとって甲子園が全てでした。高校時代、私は佐々木君と違ってプロのスカウトに注目される選手ではありませんでしたので、もし、当時の私が佐々木君と同じような立場にあったら、監督に『投げさせてほしい』と頼んでいたと思います」

「選手たちに後悔をしてほしくない」

   下窪氏は右肩を故障した自身の経験から、これまで高校生の球数問題にも言及してきた。甲子園での連投を経験している下窪氏は、投手の球数よりも登板の間隔を空けるべきだと主張する。今回、佐々木が決勝のマウンドに上がれば連投になっていただけに、下窪氏は国保監督の采配に理解を示しつつも「決勝での佐々木君のピッチングを見てみたかったという思いもあります」と複雑な胸の内を明かした。

   高校野球の名門でエースとしてチームを甲子園優勝に導いた下窪氏によると、高校野球にはプロにはない特有の「雰囲気」があるという。

「高校球児の誰もがプロを目指しているわけではありません。プロに行ける選手はその世代でほんの一握りです。ほとんどの選手は甲子園を目指します。親御さんも甲子園出場を強く願っています。チームはひとりのためにあるものではなく、選手の家族を含めたみんなのものという意識があります。私が言えるのは、『選手たちに後悔をしてほしくない』ということです。たとえ負けても選手が納得すればそれで良いと思います。チームは監督のものでも親のものでもありません。選手にとっては青春の1ページですから」

   下窪氏は結局、大学、社会人、プロを通じてマウンドに立つことはなかったが、甲子園という夢舞台を通じて「いい思いをさせてもらいました」と振り返る。そして最後に「私は肩を壊して二度と投げることは出来ませんでしたが、高校の監督には今でも感謝していますし、尊敬しています。私の高校野球の思い出は、今でも全く色あせることはありません」と話した。

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