2021年 5月 16日 (日)

「爆発踏切」日田彦山線BRT化でどうなる 戦後混乱期に起きた「忘れられた事故」残す遺構

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戦後しばらく「忘れられた」事故

   事故後に撮影された現場写真はインターネットでも検索できるが、500トン以上の火薬が爆発したすさまじさを物語っている。トンネルというからには山の中に掘られていたのだが、山そのものがトンネルごと吹き飛ばされ、ぱっくりと割れて切通しのようになっている。その土砂や火薬の破片が降り注いで前述のような被害をもたらした。

   この区間は1956年に開業したが、その時には二又トンネルは当然なく、吹き飛ばされた山の跡を今に至るまで線路が通っている。彦山駅から夜明方面へ列車が走り、二又トンネル跡を過ぎるとある小さな踏切が、事故由来の「爆発踏切」である。現場の山の跡には草木が生い茂り、事件を知らなければここにトンネルがあったことすらわからないだろう。

   戦後混乱期の事件で、かつ米軍がかかわっていたために報道管制が敷かれ、直後に地元の西日本新聞でわずかに報じられたにすぎなかった。戦後の全国メディアの記事を調べてみると、雑誌「サンデー毎日」1963年10月20日号「新聞に出なかったトンネル大爆発」として二又トンネル事故が取り上げられている。戦後しばらくは忘れられていたことがうかがえる。

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