外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(7)
英国はなぜ失敗したのか

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   一時感染が拡大し、医療現場がひっ迫する寸前だった日本では、緊急事態宣言が全国で解除になり、社会が再び動き始めた。「日本はよくやった」と自賛するのはまだ早い。第2波が来る前に、失敗から教訓を学びたい。欧州最悪の結果を招いた英国が反面教師だ。

  •                        (マンガ;山井教雄)
                           (マンガ;山井教雄)
  •                        (マンガ;山井教雄)

政権の迷走と準備不足

   2020年5月31日、朝日新聞欧州総局長の国末憲人さんに電話で話を聞いた。

   国末さんは、私が欧州総局長をしていた02年から06年にかけ、パリ支局員として米英が主導した対イラク戦争前夜を現地やフランスで取材し、独仏が戦争に反対するという正確な情報をもたらしてくださった。

   日本や米国から、「仏独はいずれ日和って参戦する」という根拠のない観測情報を得ていた私は、彼の取材に助けられ、判断を過たずにすんだ。国末さんはその後、パリ支局長として活躍し、いったん帰国後、昨夏から英国に拠点を移した。欧州大陸の土地鑑が豊かな方なので、英国観察も客観公平と思える。

   国末さんはまず、新型コロナが中国から日本に広がり始めた2月半ば、ロンドン市長選の立候補予定者が、「必要なら五輪をロンドンで引き受けよう」と発言した例を引き合いに出した。五輪開催をめぐって気をもむ日本を、当時の英国がいかに対岸視していたかを示すエピソードだ。

   これはジョンソン首相も同じだった。メイ前首相に代わって昨夏に政権の座に就いたEU離脱派のジョンソン氏は、昨年12月の総選挙で、保守党としてはサッチャー政権以来の票を得て圧勝し、英国は1月末にEUから正式に離脱した。

   「夜が明け、私たちの偉大な国民ドラマの新たな幕が開く瞬間だ」。ジョンソン首相は録画演説でそう勝利宣言した。その後の2月は12日間の休暇を取り、同月28日には労働党の議員から「パートタイム首相」と皮肉られるほどだった。

   ジョンソン首相は個人的にも多幸感に包まれていたのだろう。2月末日には、24歳年下の交際相手キャリー・シモンズさん(31)と昨年末に婚約し、近く子どもが生まれることを明らかにした。この間、首相は4回開かれた「cobra(コブラ)委員会」を欠席し、2月下旬の会議に出た際も、ごく短時間だった(4月29日付英紙ガーディアン電子版)。

   「コブラ委員会」は、英語の「内閣府ブリーフィングルームA」の略称で、欧州や海外で発生した重大事件に対応する内閣の緊急調整会議を指す。議長の首相不在のままでいたこの期間に、新型コロナは急速に英国内に広がっていた。

   「明らかに政治が迷走し、準備の遅れが響いた」と国末さんはいう。ロックダウンを宣言した3月23日まで、首相や官邸の危機意識は希薄で、感染の急拡大を許した。科学者らの助言チームはあったが、官邸の首席特別補佐官が加わるなど、データや分析をそのまま活かしたとは言い切れない、という。

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