2024年 4月 26日 (金)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(28) 欧州のペスト禍は社会や文化をどう変えたか

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「峻厳な神」の支配

   フィレンツェの都市政府の為政者や協議会議員は当時、繰り返されるペスト禍を前に、どうにかしてこの「峻厳な神」の怒りをなだめ、できれば喜んでもらえるような措置を講じようと腐心した。フィレンツェの場合、為政者や協議会の議員は、いずれも市民の代表であった。国家の現世の平和と個人の来世の救済をみな願っていた。

   その一人は1413年の議事録によれば、こう発言したという。

「失政をおこなえば、その結果、神の激怒や偶発事件がもたらされ、それによって我々は破滅しかねないと思う。私は、神の激怒を引き起こしかねない我々の行動を熟慮している」

   そこで取られた措置は、「人間の視点」というより、まさに神のご機嫌を気にして「神の視点」「神の法理」を意識して取られたものだった。こうして、「峻厳な神」を意識した心性、すなわち「ペスト的心性」は、「神の法の支配」を導く。

   15世紀は一般にルネサンスたけなわと見られているが、この時期の為政者や市民は、神から離れるどころか、神にすがっていたのである。ペスト期において法令や判決の核心部にいわば神が「君臨」していた、と石坂さんはいう。

   15世紀のフィレンツェが直面していた重大問題のひとつが人口だ。1330年代に、推計約12万人を数えたフィレンツェの人口は、1401年に4万7000人まで減った。60%もの人口喪失である。

   この問題に対する施策は、一見相互に無関係と思われる次のような法令、政策、判決だった。

 1 ソドミー(同性愛)取締令の発布(1418年)
   女子修道院への男子の立ち入り禁止令
   の発布(1435年)
   キリスト教徒の女性と肉体関係をもっ
   たユダヤ人の処刑(1434、1435年)
   近親相姦の罪を犯した者の処刑1413年)
   魔女の処刑(1427年)
   賭博行為者への処罰の執行(1435年)
   奢侈禁止令の発布(1434年ほか)
 2 インノチェンティ捨子養育院の設立(1419年~1421年)
   疫病病棟の設立(1440~50年頃)
   嫁資公債制度の設置(1425年)

   一見脈絡がないように見えるが、実は、これらの措置の核心部に「峻厳な神」がいた、と石坂さんはいう。ここで分類した「1」は「神を怒らせまいとする措置」(消極的措置)であり、「2」が「神を喜ばせる措置」(積極的措置)であるという。

   第一の措置で、異教徒のユダヤ人がキリスト教徒の女性と性交する行為は。キリスト教の侮辱やカトリック信仰の冒とくにあたる、とされた。近親相姦は「神の威厳」の冒とくであり、キリストと結婚した修道女の住む女子修道院に立ち入ることは、神の摂理への攪乱行為にほかならない。魔女は災厄をもたらし、賭博行為は疫病や害悪をもたらす危険な行為とみなされ、奢侈は「自然に反する」傲慢の罪にあたる、とされた。

   これらの行為は、神の視点から見て、どれも神の怒りを招くがゆえに罰せられた。事実条文では、それで疫病が引き起こされるとはっきり記載されている。

   石坂さんは、こうした措置に「共同責任」の考え方が導入されていることに着目する。都市の誰かが冒とく行為をすれば都市全体が、大量死をもたらす疫病や災害によって罰せられる。都市からひとりでも冒とく者を出せば、それは都市全体の共同責任で神罰を受けるのだ。ドイツにおいてもウルムの参事会(1508年)はペストの大量死を念頭に、「全能なる神はただその罪人個人だけでなく、都市参事会とそれを許した都市全体にも怒りを発し、罰する心配がある」と述べ、ソドミーなどの神の冒とく者を罰することの正当性を主張した。近世に多い迫害、すなわち神の摂理に反した者たち(ソドミー・魔女・ユダヤ人など)の迫害を正当化する論理が、ここにある。石坂さんは、民衆もまた、こうした論理を共有していたという。

   「神の視点」で制定された典型的な法令は反ソドミーの法令だ。誰にも知られない密室においてふつう合意でなされるソドミーは、殺人や傷害など、善良な市民に対して直接危害を加える反社会的な犯罪とは違う。人に迷惑をかける性質のものでない。しかし当時、問題にされたのは、「人間に直接危害を加える反社会性の度合い」ではなく、神の法に対する冒とく、つまり「神に対する冒とく性の度合い」だった。

   たとえ他人に直接的には無害でも、「自然の法」(男と女、雄と雌の交わりなど)に反し、神を冒とくし、神を怒らせ、それによって天災や疫病を引き起こし、大量の人びとの命が奪われる。そうした見地から、「重大な反社会的行為」と考えられたのである。

   「1」の「神を冒とくする行為を罰する法令」が、ただ神を恐れておこなう消極的な行為とするなら、「2」の「神を喜ばせる措置」は、キリスト教的な隣人愛の実践として捨て子を保護し、疫病患者を手当てする施設を建設する「積極的な措置」だ。それを国家レベル(都市集団)でおこなうことは、神を喜ばせるものと考えられた。また、未婚の女性が結婚しやすいように嫁資を援助することも、国家的な慈善行為といえた。

   もちろん、フィレンツェの措置は、宗教的なものばかりではない。人口問題で言えば、人口の増加を狙って無税で新市民を招き入れる法令の発布などもあった。実はフィレンツェの住民のなかのかなりの割合が、ペストによって失った人々の埋め合わせとして14世紀から都市に優遇して迎え入れられた人たちだった。だから実際は、フィレンツの人口はもっと少なかった、と石坂さんはいう。

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