2024年 4月 25日 (木)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(28) 欧州のペスト禍は社会や文化をどう変えたか

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300年以上もペストが頻発、その終焉は-

   ふつう、教科書や歴史年表などでは、1348年の黒死病だけを取り上げることが多い。だがペスト禍は3~4世紀にも及び、周期的に欧州を襲った。25年ペスト研究を続けてきた石坂さんはこの時期を「ペスト・飢饉期」と呼び、ペストがどのように当時の人々の心性や意思決定に影響したのかを究めてきた。

   史料に恵まれ、ペストの発生が特定しやすいドイツの都市ヒルデスハイムではペストは3世紀間(1350年~1658年。309年間)に「54回」も発生している。これは「5・6年」の間に1回の周期だ。加えて西欧のペスト期に発生した飢饉の周期も「約6年に1回」。ペストはミラノでは、1348年から1528年までには「平均して2年に1回」、16世紀全体で「5・6年に1回」の割合で発生した。

   パリでは、ペストは1348年から1500年の1世紀半の期間に「4年に1回」発生している。このように欧州で「風土病」として定着したペストは小氷期に周期的に反復し、約5年から10年足らずのうちに1度の頻度で繰り返し、大量死をもたらした。それはこの時期の欧州の人口史のグラフからもわかる。

   その例示が欧州における人口の増減を示すグラフだ。人口は12、13世紀にかけて急増し、1300年にピークに達した後、つるべ落としのように急降下する。たとえば人口の増加した中部欧州では1300年から1310年の10年間に、人口千人を超える都市が約300も建設されたが、その直後、ペスト・飢饉で人口は激減した。

   13世紀は気候が温暖な時代だったが、14世紀には地球が小氷期に入り、寒冷化による気候の悪化で飢饉・凶作が続き、当時、交易の8割以上が農業だった欧州に深刻な経済的打撃を与えた。ペストやそれ以外の疫病が追い打ちをかけた。もともと疫病は、栄養不足で弱った人々に襲いかかり、死に至らしめる。その意味で、ペストと飢饉はあくまでセットとして理解すべきだ、と石坂さんはいう。これは地球の寒冷化によるもので、そのダメージは中国の元王朝の滅亡にも作用した。気候の悪化は、人の健康だけでなく、政治・経済、宗教や神観念にも影響を与えたわけだ。

   人口がピークに達した14世紀初頭から1世紀後、イタリアのトスカーナ地方では人口はペストと飢饉によって14世紀初頭の人口の3分の1にまで激減した。人口減は納税者の減少を意味した。国家財政は逼迫し、イタリアの都市国家は増税を課し、それが人々の反発や労働者の内乱を招いた。これは欧州全般、とりわけ14世紀後半に言える傾向だという。

   大都市は領土拡大による財政改善を狙い、戦争を誘発した。こうしてペスト・飢饉・戦争の悪循環が繰り返された。苦難は14世紀の多くの戦争、16世紀のイタリア戦争、17世紀の三十年戦争にも影を落としている、と石坂さんはいう。この時代の戦争がしばしば宗教戦争であったことを考えると、ペスト・飢饉・戦争の三者は、「神」を中心とする一体のものだった。

   ペストの被害を数字で見ると、その怖さは具体的に迫ってくる。

   1348年の「大黒死病」の後、1360年ごろから次々とペストが大流行した。10年ごとに繰り返し流行し、その数は14世紀だけで全部で6回に及んだ。1400年の6度目のフィレンツェのペスト流行時の死亡率は人口の約20%だった。他地域も似た死亡率と考えられる。

   石坂さんによると、フィレンツェの穀物局は、穀物輸入の必要から都市人口を把握してきたが、ペストの反復流行が起きてから、かなり正確に『死者台帳』を記録するようになった。石坂さんは、その台帳の研究を参考に、夏の流行のピーク時の死者数を示した。

6月15日~21日  550人
6月22日~28日  887人
6月29日~7月5日 1177人
7月20日~26日  1015人
7月27日~8月2日 966人
8月3日~10日  746人
8月11日~17日  459人

   当時のフィレンツェの人口は、わずか6万人だった。うち1万2千人もがこのペストで亡くなった。夏頃のピーク時には毎週千人前後が亡くなっており、「死亡率20%」がいかに凄惨でむごたらしいものであったか、臨場感をもって伝わってくる。フィレンツェは14世紀初頭には人は12万人だったが、相次ぐペストと飢饉などで半減したわけだ。

   なぜ長いペスト期は終わったのか。定説はないが、気候変化や予防措置の効果のほかに、ネズミの「生態学的変化」が指摘されていると、石坂さんは指摘する。ペストはネズミに寄生するペストノミが人間の皮膚を刺し、ペスト菌を血液に注入することで感染させる。中近世のペストノミは人間の家や周辺に棲息するクマネズミに寄生していた。クマネズミが大量死すると、栄養分を失ったノミは今度は人間を襲う。

   ところが18世紀初頭になると、西アジア原産の獰猛で大柄のドブネズミが欧州に渡り、小柄なクマネズミを駆逐・殺戮してしまう。このドブネズミはクマネズミと違って人間の居住圏とは距離を置くタイプだった。これがペストの流行を抑えるのに、一定の効果があった、といわれる。

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