2021年 2月 28日 (日)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(28) 欧州のペスト禍は社会や文化をどう変えたか

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終末論と煉獄観――宗教改革の導火線

   宗教改革以前、大量死に終末意識を刺激された人々は、カトリックの教えに従って改悛したり、生きているうちに贖罪のため慈善活動を始めたりして救済を求めた。「峻厳な神」のイメージから、死後の「煉獄」で科される贖罪は過酷で一層苦しいものになると思われた。遺言書などを通じて自分の魂のために死後におこなう供養ミサを予約することが盛んになった。煉獄の劫罰を恐れるあまり、途方もない数の供養ミサが教会に申請された。ミサのインフレである。供養ミサの増加に象徴される「煉獄への畏怖」の高まりを「煉獄の勝利」と称した研究者もいるほどだ。都市の集団に襲いかかって大量死をもたらすペスト禍は、集団への罰とみなされ、人々の贖罪の形は10万人、20万人単位で集団巡礼をする例まであった、という。

   また、富裕層は高価な「聖遺物」を購入して業火に苦しむ煉獄での滞在期間を短縮しようとした。ヨーロッパを二分することになった宗教改革の直接の発端は、この煉獄(死後の贖罪)の問題だった。煉獄を早く脱出したい願いから贖宥状を購入する動きがあり、贖宥状が煉獄脱出に有効かどうかという宗教問題が宗教改革の火種になった。そう石坂さんは指摘する。

   石坂さんはその著書「どうしてルターの宗教改革は起こったか ペストと社会史から見る」(ナカニシヤ出版)で、ルターの宗教的回心の核心に、ペスト禍で立ち現れた「峻厳な神」のイメージを据えている。

   それを理解するためには、「煉獄」を知る必要がある。人は聖人であれば天国に行き、極悪人であれば地獄に堕ち、永遠に劫罰を受け、抜け出すことはできない。だがいずれでもない中間の人々は、まず死後に「煉獄」に行き、生前の罪の償いや善行に応じて贖(あがな)われ、浄化され、いずれは天国に行ける。さらに遺族ら第三者の供養は、死者の「煉獄」での苦しみの軽減や滞在期間の短縮に有効とされた。ただし地獄に堕ちず、ともかく「煉獄」に行くには死の前の改悛、聖職者による「終油の秘蹟」を済ませておくことが条件だった。

   この「煉獄」は聖書の記述に根拠があるのではなく、12、13世紀に創造された。この「第三の場所」は、恵まれた時代を反映して人を「救済する」ことを目的として聖職者によって創られたものだ。信徒は秘蹟を受けに教会に通い、見返りに奉納や寄進をするようになった。

   12、13世紀には、終油のほかに洗礼、堅信、婚姻、聖体拝領、告解、叙階など合わせて「七つの秘蹟」が広く浸透し、聖職者による秘蹟を受けた人は、いずれ必ず天国に行けると信じられた。目に見える形式化が、「天国に行く道筋」をわかりやすいものにした。教会法で典礼や行事が定められ、儀式は音楽や聖人の持物と共に詳細に規則化された。

   だが、マルティン・ルター(1483~1546)が生きた時代は、ペストが猛威を振い、神が峻厳な相貌を示した時期にあたっていた。しかも「1500年」頃は終末意識が高まり、ルター自身、1505年に二人の弟の命をペストに奪われた。ルターはその疫病死によって、おそらく「峻厳な神」を痛感しただろう、と石坂さんはいう。

   ルターは、父親の強い意向で本来大学で法学研究に進むはずのところを、父に真っ向から反抗して托鉢修道士に転向した。父の激怒は激しかった。2人の息子とともに長男のルターまで神に奪われてしまうからだ。

   この転身は欧州史の大転換点を引き起こす。

   修道士になったものの、告解聴聞師である修道院長から「告解の秘蹟」を受けた青年ルターは、自分の過去の罪を振り返り、聴聞師が与えようとする「赦し」を頑なに拒んだ。あの恐るべき神が、そう簡単に自分を赦してくれることはない。そう思ったからだ、という。ルターは修道士として、俗人の「とりなし役」となり、神に没入しなくてはいけない立場だ。この亀裂が悲劇的な火花となって散った。

   告解聴聞師は「神の代理人」としてルターを赦そうとするが、当の本人は赦されようとしない。これは突き詰めれば、「告解」の成立を不可能にし、カトリック制度、教会の階層秩序を根本から否定することにつながる。そう石坂さんは指摘する。

   ルターが抱く「峻厳な神」の観念による告解の拒否は、カトリックの贖罪の意味そのものや、贖罪を得るための善行などの行為を重視するシステムの本質を根底から覆す。ルターはカトリックの秘蹟や信仰形態そのものに、アンチテーゼを突きつけることになった。こうして彼は、「九十五カ条の論題」や「贖宥の効力を明らかにするための討論」を表し、宗教改革の烽火をあげることになった。

   ルターは、細切れの改悛や赦免を否定し、人の認識の及ばない圧倒的な神を前に、人間の改悛は絶えることなく生涯に及ぶべきものだとした。真の改悛は、聖職者という「とりなし役」を伴って教会という歴史的形成物の下で行われるのではなく、誰も伴わず、一人の個人として日々、生涯にわたって神に向かい合うことで果たされると考えた。神と個人は直接向かい合うものであった。こうした「神秘主義」というべき新しいパラダイムは、エックハルトの流れを汲むものだ。

   救済は善行などの行為によらず、信仰それのみによる。そうした考えからルターは、ペスト期に流行った、現世の罪の贖罪である「供養ミサ」を否定し、教皇が発行する贖宥状についても教皇に来世の霊魂に関わる権限はないとしてその効力を否認した。

   その改革が燎原の火のように広がったのは、ペスト禍に見舞われた欧州の多くの人々が、ルターと同じように、畏怖すべき圧倒的な「峻厳な神」のイメージを心に抱いてからだ、と石坂さんは見ている。ルターはペストや飢饉で苦しむ人々と神観念を共有していたのだ。

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