2024年 4月 17日 (水)

「無限列車」劇場版のモデルは昭和? 「鬼滅の刃」から読み解く大正鉄道史

   劇場版「『鬼滅の刃』無限列車編」の効果はとどまるところを知らない。鉄道界でも鬼滅の刃とのコラボ企画が相次ぎ、JR九州は臨時列車「SL鬼滅の刃」を運行するに至った。

   「SL鬼滅の刃」は2020年11月に運行後、12月にも追加運行が決まった。映画では「無限列車」を舞台に戦闘が繰り広げられているだけあり、鉄道との相性は悪くない。本作をきっかけに大正時代への関心も高まっているが、実際の当時の鉄道はどんな様子だったろうか。

  • JR九州の「SL鬼滅の刃」 (C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
    JR九州の「SL鬼滅の刃」 (C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
  • 博物館明治村の9号蒸気機関車。鬼滅の刃の舞台の大正時代初期はまだこの機関車と同じ連結器を装備していた」
    博物館明治村の9号蒸気機関車。鬼滅の刃の舞台の大正時代初期はまだこの機関車と同じ連結器を装備していた」
  • JR九州の「SL鬼滅の刃」 (C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
  • 博物館明治村の9号蒸気機関車。鬼滅の刃の舞台の大正時代初期はまだこの機関車と同じ連結器を装備していた」

1日で連結器を取り換えた

   無限列車の機関車は、本来なら車両番号が掲出されている前方に「無限」とプレートがついている。その他の特徴として、機関車の最前部につかみ棒が2本あり、動輪は3軸、ボイラー上には走行用の蒸気と線路にまく砂を貯めるドームが「フタコブラクダ」のように2つ付いている。これらの特徴に一致する大正時代の主力機関車は、1914(大正3)年登場の8620形である。旅客列車用機関車として600両以上が量産され1970年代まで活躍、ゆえに8620形の1両でJR九州の現役保存機の58654号機が「SL 鬼滅の刃」の牽引機に選ばれたのはまさに適任で、本来のナンバープレートを「無限」に付け替えるなど劇中の描写に近づけた上で列車を牽引した。

   ところが、無限列車と史実の大正時代の鉄道とは大きな相違点がある。車両同士をつなぐ「連結器」だ。

   1872(明治5)年の鉄道開業以後、日本の鉄道では主に「ネジ式」という連結器を採用していた。これは連結器同士を文字通りネジで締めて連結するものだが、連結作業に手間がかかる上に強度が弱く、作業員が車両の間に挟まれる恐れがあり危険だった。

   ネジ式は現代では博物館明治村(愛知県犬山市)で運行中の12号・9号機関車が装備しているが、無限列車の機関車の連結器はそれと全く異なり、現代の機関車と同じ形のものを装備している。これは自動連結器と呼び、開いた状態の連結器同士をつなげると自動的に錠がかかって固定されるため、ネジ式に比べて作業が容易である。

   そこで、鉄道院(現在のJR)ではすべての機関車・客車・貨車の連結器を現代使われているものと同じ自動連結器への交換を決め、1925(大正14)年7月17日に大半の車両の連結器を一斉に取り換え、自動連結器への移行が完了した。安全で強度にすぐれた自動連結器に統一できたのは日本の鉄道史上画期的な出来事で、輸送力強化に貢献した。例外は北海道で、アメリカから自動連結器付の車両を輸入していたために内地に先んじて自動連結器への統一が完了していた。58654号機を含め、現在JR線で保存運転中の蒸気機関車もすべてこの連結器を装備する。

   鬼滅の刃の舞台となった時代は、作中で鱗滝左近次が鬼狩りをしていたのが「慶応年間で47年前」という内容を根拠にすると、大正時代でも初期の大正元年~4年(1912~15年)頃と推定される。作中の鉄道は史実よりもいち早く自動連結器への取り換えが完了していたようだ。

原作より大きな「劇場版の客車」

   鬼殺隊が乗り込んだ客車の方は、原作マンガと劇場版で描写が異なる。劇場版の方が大型で全長が長く二段式の窓が並び、原作の方は小型な客車が描かれている。

   大正時代の客車は、明治時代よりも大型化が進んだ。明治時代には車輪が2軸4輪しかない「二軸車」が多く形式も雑多だったが、大正に入ると現代と同じ4輪の台車を前後に装備した「ボギー車」が増備されてくる。中には3軸6輪の台車をはいた「3軸ボギー車」もあった。

   車内の照明は明治時代の石油ランプにかわって発電機が使えるようになり電灯を導入、明るく安定した照明になった。これらは鉄道院が1910(明治43)年に規定した「基本型客車」という客車の標準的なスタイルに基づいている。「木造」「三連窓」「ダブルルーフ」が特徴で、その名の通り側面を見ると3枚で1くくりになった窓が並ぶ。ダブルルーフとは屋根が二段式になっていて、間に明かり取りの小窓が作られているのが特徴だ。

   このスタイルをとどめる保存車両には、鉄道博物館(埼玉県さいたま市)に展示中のオハ31形客車がある。「無限列車編」の時代より後の1927(昭和2)年の製造だが、当時の車両スタイルがよく保存されている。劇場版の無限列車の客車も側面や車内はこのオハ31形によく似ているが、屋根のつくりが違う。厭夢(「厭」は正しくはがんだれの中に鬼がある)と炭治郎が屋根上で戦うシーンを見ると、屋根はすっきり平坦になっている。

   このような通称「丸屋根」の客車は、京都鉄道博物館(京都市)で保存中のスシ28形などで見ることができる。同車は1933(昭和8)年の製造で、1932(昭和6)年から丸屋根スタイルの客車の量産が始まっていた。時代設定は大正初期でも、これら昭和初期の客車のスタイルで描かれているのが、劇場版無限列車の客車だ。客車の車体長も大正時代には「基本型客車」に基づいた17mが主力だったが、昭和に入ると大型化され、現代の電車などと同じ20mの長さが標準になった。

   原作漫画の方は劇場版より小ぶりで、明治時代の二軸車のスタイルで描かれていて、明治村で運行中のハフ11形・13形・14形客車に似ている。ちなみにJR九州の「SL 鬼滅の刃」の客車は、もともと50系という1977年に登場した客車だが、58654号機とともに「SL人吉」に使われていて、レトロ調に改造されている。その際に古めかしさを演出するべく、本来必要のないダブルルーフに見えるように屋根も手が加えられた。

   ただ、史実の大正時代の主力客車の保存例はほとんどない。例えば1919(大正8)年に登場し、系列形式を合わせて約3000両が生産されたナハ22000形も保存車はなく、模型の組み立てキットが発売されているにとどまる。

   無限列車の描写で当時の鉄道に興味を持った方がいたら、博物館で保存車両を見学してみたり、模型で再現を試みるのも一興だろう。

(J-CASTニュース編集部 大宮高史)

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