2024年 4月 26日 (金)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(37)日本はなぜIT化に遅れてしまったのか 服部桂さんと考える

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「テクノロジー」とは

   服部さんはMITから帰国後に科学部記者になり、新聞で初めて本格的なバーチャル・リアリティーやインターネットの記事を書き、「ASAHIパソコン」デスク、「PASO」編集長などを務め、2016年に退職後は関西大学客員教授や早稲田大学などの多くの大学の講師として、メディアの歴史、メディア理論などを教えてきた。ITを技術として考えるだけでなく、人と人の関係を作り変える画期的なイノベーションとして、文明論に位置付ける仕事をしてこられた。

   服部さんは次のようにいう。

「人は太古から、もっと生活を便利にしたいという欲求を原動力に、テクノロジーを使い、自分たちの身体的能力以上の成果を引き出してきた。言葉は心や知識の拡張だった。初めは危険を知らせる程度だったが、発達することで経験を伝えたり、相手を動かしたりすることもできるようになったりしたため、その後のあらゆるイノベーションの基礎になった。書き言葉が発明され、15世紀中ごろ以降に活版印刷技術が普及すると、それまで貴族や僧侶など一部の知識層にとどまっていた情報がさらに広い階級にまで行き渡り、『知の革命』が起きた」

   だが、テクノロジーという言葉が使われるようになったのは、かなり時代を下ってからだ。服部さんによると、産業革命以前、一部の「匠」だけが持てたノウハウには名前もなく、本人と不可分の才能とみなされていた。本人がいなくなればその技術も容易に途絶えてしまう。技・ノウハウといった「ソフト」と、人間の身体にあたる「ハード」を切り離すことは、不可能と考えられていた。

   ところが17世紀の科学革命以降は機械技術が発達し、その後産業革命で蒸気機関という効率的な仕掛けが発明され、一部の人に限られていた優れたノウハウが機械で真似できるようになった。職人だけが生み出していた美しい織物を、織機という機械が忠実に再現することになった。つまり「ソフト」としてのノウハウと、それを実行する道具としての「ハード」がここに分離する。そこで初めて、人はどういうノウハウで動いているのか、という視点が生まれ、そのノウハウが「テクノロジー」と呼ばれるようになった。

   ドイツの技術学者ヨハン・ベックマンはこうして、属人的な部分を取り除き、「機械でも模倣できる技」をテクノロジーと呼び、そうした例を工学全般にわたって集め、教科書として出版した。だが、テクノロジーという言葉が普及したのはさらに遅く、アメリカで普及したのも戦後になってからだという。

   利便性を追求する人間は、あらゆる道具を発明し、生活を豊かにしてきた。ねじ回しは指の延長線だった。車は人間の足を機械化した。こうした人間の生存欲求を原動力に模索を続けるうちにイノベーションが起き、そこから生まれた新たなテクノロジーによって社会が規定され、新たな価値観や規範が生まれる。コンピューターは、そうした「道具」の延長上に生まれたが、人間全般の能力を扱うという点では、画期的だった。それは、人間の在り方や、人間と世界の関係そのものを変える可能性がある、と服部さんはいう。

   こうした歴史を踏まえて、服部さんはこう指摘する。

「米国がなぜITを発達させ、パソコンがどうして米西海岸で生まれたのか。その背景にある歴史や文化の理解抜きには、イノベーションは生まれない。日本がITでなぜ出遅れたのか、その理由は、技術力がないせいではありません。イノベーションを生み出す力がなく、技術を模倣しようとして、米国の圧力にひるんでしまう。人間の力や能力を拡張する必要性を感じ、それを乗り越えようとする意思がなければ、イノベーションは生まれません」
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