2024年 4月 27日 (土)

手足3本失い10年「僕は今、人生を楽しんでいる」 「奇跡で助かった男」は今日も誰かのために発信を続ける

人気店や企業から非公開の招待状をもらおう!レポハピ会員登録

4つのターニングポイント

数々の経験をしてきた山田千紘さん
数々の経験をしてきた山田千紘さん

   手足を失ってからの10年で、ターニングポイントとなった出来事が4つほどありました。1つ目は事故から約2年後、社会復帰しようとしていた時です。リハビリを終え、職業訓練校に通って資格を取り、パソコンも学んで、就職活動を始めたけど、障害者雇用の求人の給与が低すぎる現実に直面しました。

   「僕は障害者なんだ。扱いが違うんだ。自立できないのか」。もっとすぐに1人暮らしできるくらい視界が開けるはずだと思っていたし、そのための準備もしてきたつもりでした。がむしゃらに頑張ってきたけど、壁にぶつかり、「人生面白くないな」とまたネガティブになってしまいました。

   就職活動の話はこの連載でも以前しましたが、僕は幸い良い企業に就職でき、無事1人暮らしする目標も達成できました。その後一度転職して、現在もバリバリ働くことができています。

   2つ目は2017年ごろ、本格的にインスタグラムなどのSNSを始めたことです。きっかけは大したことではなくて、みんなSNSをやっていたし、友達や知人に「手足3本なくても生活できているよ」と知らせることができると思ったから始めました。

   社会人1年目の2014年ごろ、僕は当時どうしても、手足を3本失った自分の体に抵抗がありました。「自信がなかった」というと少し違うけど、「隠していた」のは間違いないです。昔の写真を見ると、2015年も長袖長ズボンばかりでした。

   その感覚が徐々に変わっていきました。自分の体を認められるようになったのは25歳、2016年ごろから。気持ちがオープンになり、日頃から半ズボンを履いたり、腕も出したりするようになりました。写真を見るとこの年から半ズボン姿が見え隠れするようになり、2017年には完全に半ズボン大好きになっています。

   変わっていった理由は特にないです。気持ちの部分で、徐々に体を人に見られても抵抗がなくなっていきました。時間をかけて自然と自分らしさを取り戻せたんだと思います。だからSNSで自分の姿を発信できるようにもなりました。

姉妹サイト

注目情報

PR
追悼
J-CASTニュースをフォローして
最新情報をチェック
電子書籍 フジ三太郎とサトウサンペイ 好評発売中