「本来コンテンツとは、もっと広い『体験の全体』を指すはず」
引地さんは、現代における「コンテンツ」について、「本当に『デジタルデータとしての中身』のことだったのでしょうか?」と疑問を呈し、「音楽なら、CDから抽出された音楽データだけ? 本なら、文字情報だけを読むことが目的? そんなはずはありません」とした。
「『コンテンツ』という言葉が、あまりにも軽々しく使われるようになり、音楽も、本も、映画も──すべてが『データ化された消費対象』に還元されてしまいました。けれど、本来コンテンツとは、もっと広い『体験の全体』を指すはずです」とし、具体例を挙げてその価値を説いた。
「たとえば、本当に好きなアーティストや作家なら、CDを手に取り、ブックレットの紙質や印刷の匂いを味わい、ライブへ足を運び、その空気ごと記憶に焼き付ける。本の装丁を撫でるように見て、本棚に飾り、何度も読み返したり、友達に貸したり。それらすべてが『コンテンツ』だったはずです」