都市化のなかで画一化した盆踊り
お盆の行事として定着している「盆踊り」も、実は戦後に変化した文化である。
起源は仏教の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」とされ、死者供養と生者の交歓を同時に行うため、身分や年齢を越えて踊る無礼講として江戸時代から各地に広がった。
近畿の河内音頭、東北の念仏踊り、北陸の越中おわらなどが代表的だが、振付や唄、楽器は地域ごとに大きく異なり、隣村の踊りを知らないことも珍しくなかった。
しかし、戦時中は盆踊りのような娯楽や祭礼が非生産的と見なされ、一時中断された。
戦後、GHQは国家主義的行事を制限していたが、盆踊りは生活再建の無害な娯楽として奨励した。
戦災で焼け野原となった広場や農村の神社境内に響く笛や太鼓──盆踊りは亡くなった人々を弔うと同時に、生き残った者が互いの存在を確かめ合う儀式となった。
当初は土地ごとに独自性をもった踊りだったが、復興が進むとラジオやテレビが地域固有の踊りを紹介すると同時に、全国共通で踊れる新曲を発信した。
こうして都市部でも商店街や企業の集客イベントとして開催されるようになり、分かりやすく踊りやすい型が大衆化し、「夏の共通風景」となった。