演歌は明治期の自由民権運動で歌われた「演説歌」に由来
踊りに続いて、歌も見てみよう。「日本の心」と言われる「演歌」である。
現在、演歌と聞くと、和服姿の歌手が情念たっぷりにこぶしを回す姿を思い浮かべるかもしれないが、本来の演歌は全く別のものだった。
もともと演歌は、明治期の自由民権運動で歌われた「演説歌」、たとえば川上音二郎の壮士節「オッペケペー節」に由来する。
やがて大衆娯楽化し、義理人情や侠客の世界を描いた股旅物や浪花節調の歌謡へと発展していく。
戦後、演歌は西洋のポピュラー音楽や和声を取り入れた都会派歌謡曲と融合し、港町や酒場、別れといったテーマを中心に独自の変化を遂げた。
マイクを活用した歌唱が主流となり、「ため」や「こぶし」を使って情念的な感情を表しやすくなった。
高度経済成長期には地方から都市への人口移動が急増し、農村出身者にとって演歌は「ふるさとの匂い」を残す数少ない文化媒体となった。
たとえば都はるみが1964年に大ヒットさせた「アンコ椿は恋の花」は、都会に行った男性を思う島の女性の悲恋を歌い、「都市で聴く故郷」として機能した好例である。
英国の歴史家エリック・ホブズボームとテレンス・レンジャーは、著書『創られた伝統』で、「古い伝統」とされるものの多くは実は最近の発明であり、それがナショナル・アイデンティティを生むと述べている。
日本の伝統的とされる文化や風習も、見直してみれば意外な「発明」によって形作られたものが多いのである。