第81代首相を務めた村山富市氏が2025年10月17日に、101歳で死去した。政界からも惜しむ声が相次いでいる。「自社さ連立政権」のもと第81代首相に就任複数報道によると、村山氏は17日午前、出身地でもある大分市内の病院で亡くなったという。村山氏は大分市議会議員、大分県議会議員を経て、72年12月の第33回衆議院議員総選挙に立候補し、トップで初当選した。社会党の国会対策委員長を務めた。94年に、自民党・社会党・新党さきがけによるいわゆる「自社さ連立政権」の樹立合意を受け、第81代首相に就いた。所信表明演説では「自衛隊合憲、日米安保堅持」と発言し、日本社会党のそれまでの政策を転換した。95年の戦後50周年記念式典では、閣議決定に基づき「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題した声明を発表した。「村山談話」「戦後50年談話」などとして知られるもので、「心からのおわびの気持ち」などを明記したこの談話は以後の内閣にも引き継がれ、日本政府の公式の歴史的見解となった。「村山談話は、政治的に大変意義のあるものだと思います」訃報を受け、SNSでは政界から追悼のコメントが相次いでいる。社民党の福島瑞穂党首は、「政治の父である村山富市さんが今日11時28分大分市の病院で101歳で亡くなられました。本当に寂しいです」と悲しみをつづった。「いつも大分に行くたびにご自宅でがんばれ、がんばれと励ましてくださっていました。1995年の村山談話は、政治的に大変意義のあるものだと思います」とした。立憲民主党の逢坂誠二衆院議員は、「村山富市元総理のご逝去に、心より哀悼の意を表します。平和主義を貫き、国民の生活に寄り添い続けた政治家としての姿勢に、深い敬意を抱いております」とし、生前のエピソードを明かした。「約10年前、函館にお越しの際にご一緒に寿司をいただいたことがあります。その席で『私は寿司よりも肉が良い』と笑いながら話され、年齢を感じさせないエネルギッシュなご様子に驚いたことを、今も鮮明に覚えています」「政治の世界が激動する中にあっても、常に穏やかな語り口で信念を貫かれた方でした。『人間の尊厳を守る政治』という信条は、今も私たちの胸に深く刻まれています」としている。枝野幸男元代表(衆院議員)は、「村山元総理のご逝去の報に接しました。たいへん残念です。衷心より哀悼の意を表します」と追悼。「フレンドリーなお人柄が多くの方から親しまれていました。当選一回の立場で末端から見ていましたが、総理としての重い責任を痛感しながら仕事をしておられたと感じました」とした。自民党の小林武史神奈川県議会議員は、「自社連立による社会党の方針大転換への批判を受け止め、現実路線に向けて自民党と一緒に働いて下さいました。ご冥福をお祈りします」としている。「眉毛を切らせてくれた気さくな方という印象」一般ユーザーからは、気さくな人柄を惜しむ声も相次いでいる。「村山氏と言えば社会党委員長時代に電波少年で松村が眉毛を切りに行く企画を思い出す。ハサミとはいえ刃物を持って行くというのも今では絶対に有り得ないわな...」「村山富市元総理がなくなられたらしい。村山元首相と言えば電波少年で松村邦洋さんに眉毛を切らせてくれた気さくな方という印象でした」かつて人気を博したバラエティ番組「進め! 電波少年」(日本テレビ系)に出演していた際のエピソードも注目を集めている。