元総務相で自民党参院幹事長などを務めた片山虎之助氏が2025年12月18日午後、老衰のため死去した。90歳だった。次男で日本維新の会の片山大介参院議員が同日、Xで報告した。
「4年前に倒れてから、ずっと闘病生活を続けてきました」
虎之助氏は58年に自治庁(のちの自治省)に入庁し、89年に自民党公認で参院選に出馬し初当選すると、00年の第2次森改造内閣で初入閣を果たした。初代総務相や自民党の参議院幹事長などを歴任。
07年の参院選での自民党の大敗を受けて参院幹事長を辞任し、10年には「たちあがれ日本」に入党。その後、日本維新の会に合流して共同代表などを務めた。21年11月に倒れ、22年7月の任期満了をもって参院議員を退任し、療養を続けていた。
大介氏はXで、「父・片山虎之助が、きょう、90歳の人生を終え、旅立ちました。これまで多くの方にご支援いただき、本当に有難うございました」と感謝をつづった。
闘病について「4年前に倒れてから、ずっと闘病生活を続けてきました」と明かし、「1か月ほど前から体調が悪くなり、何とか新年を迎えられればと思っておりましたが、きょう午後、亡くなりました」と振り返った。
「いまだに慕っていただいて本当に有り難く思います」
「政治家人生を、自民党議員として歩み始め、最後は日本維新の会の議員として終えました。その両党が、今、連立政権を担っていることを、誰よりも喜んでいると思います」とした。
「多くの人から『トラさん』と慕われ、素晴らしい人生だったと思います。本人に代わって、皆さまに感謝を申し上げたいと思います」としている。
大介氏は、Xでたびたび虎之助氏の様子を明かしていた。
23年11月に旭日大綬章を受賞した際は、感謝の言葉とともに「虎之助ですが、おととし11月に倒れて、今も療養を続けています。命に別状はなく、ずっと安定しています」と報告。
25年11月には、自民・維新の連立政権樹立を受け自民党の議員らと打ち合わせをする機会が増えたと明かし、「参院自民党の皆さんに誘われ、自民の国対(国会対策委員会)の部屋に ここには、歴代の国対委員長の名札が飾られていて、父・片山虎之助の札もあるということで、『一度、見に来たら』と言われて訪ねました」。
虎之助氏の名前が書かれた札の写真を添え、「虎之助が倒れて、今月でちょうど4年になります。容体は変わらないままですが、心配な状況でもありません いまだに慕っていただいて本当に有り難く思います」としていた。
高市首相「私にとっては大先輩」
政治関係者からも、党派を問わず惜しむ声が相次いでいる。
高市早苗首相は、「初代総務大臣の片山虎之助先生のご逝去の報に接し、謹んでご冥福をお祈り申し上げます」とした上で、「郵政大臣、自治大臣、総務庁長官も務められた片山先生は、第18代・19代・23代総務大臣を務めた私にとっては大先輩です。総務委員会における質疑を通じて多くのご指導を賜りました」と振り返った。
小野田紀美経済安保担当相は、「気さくに明るくいつもご指導頂きました。衷心よりお悔やみ申し上げます」と悲しみをつづった。
日本維新の会代表の吉村洋文大阪府知事は、「片山虎之助先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。生前は大変お世話になりました」と感謝を述べた。
立憲民主党の伊藤俊輔衆院議員は、「ご生前のご遺徳と心温かいお人柄を偲び、つつしんで心からお悔やみを申し上げます」とコメント。
日本共産党の大門実紀史参院議員は「私が新人議員の時から目をかけて頂きました。厳しく賢く優しい大先輩でした。良い思い出がいっぱいあります。長い間、お疲れさまでした。安らかにお眠りください」と感謝を明かしている。