帰る家は浪江にない、でも昔懐かしい場所に立てば 15年の歳月が変えたふるさととの距離 #知り続ける

大地震に原発事故「とにかく、これを伝えなきゃ」

   移住後はまず、娘との生活を安定させようと努めた。同時に、この2、3か月で味わった信じられない経験の数々が、牛来さんの頭によぎった。大地震、原発事故、ふるさとを追われ自分の家に帰れない現実......いったい、どういうことなんだろう。

「心も頭も全く整理がつかないなかで、『とにかく、これを伝えなきゃ』という気持ちが膨らんでいったのです」

   選んだ手段は、歌だった。牛来さんは十代のころから、「格好いいシンガー」を夢に描き、ライブハウスにたびたび出演していたという。オリジナル曲を出そうとの思いはあったが、当時は実現しなかった。

   当時ポピュラーだったFacebookを中心に、SNSで発信を始めた。娘を保育園に送り出してから、曲作りに没頭。各地を回り、夜の出演の際に楽屋の椅子を並べ、毛布を敷いて娘を寝かせたこともあった。

   2012年3月、初の4曲入りミニアルバムを自主制作でリリースした。

「こんなことが起こっているんだよ、と伝えたい一心でした」
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