プロ野球・読売ジャイアンツの阿部慎之助監督が2026年5月25日夜、18歳の長女に対する暴行容疑で現行犯逮捕された。容疑を認めた阿部氏は翌26日未明に釈放された。そして同日、監督辞任を申し入れ、球団はこれを即座に受理した。しかし、この一連の逮捕劇に対しては、SNSを中心に阿部氏を擁護する声も上がり、オンライン署名サイトでは数日で13万人分に及ぶ監督復帰署名が集まった。阿部氏の監督辞任は社会の過剰反応か?それほどまでに阿部氏を擁護する声が上がったきっかけのひとつに、本件の被害者となった長女からの手紙の存在がある。26日に開かれた辞任記者会見で読まれたその手紙には、「暴力に関しましては殴る蹴るといった事実はございませんでした。報道では殴られたなどとありますが、私の過度な状況説明によって報道内容が事実と異なってしまった」と記されていた。加えて、事の発端はその日の姉妹ゲンカを止めようとした際に起きた偶発的な出来事であり、「父とのこのような大掛かりなけんかというのは初めて」であったという。報道によれば、警察が現場に到着した時点では、すでに家族間の口論は収束していたとされている。こうした事情を踏まえると、現行犯逮捕という強い措置は適切だったのかという疑問も生じる。これらの情報を前提とするならば、一部には、比較的軽微な親子間のトラブルであったにもかかわらず、阿部氏は現行犯逮捕されたうえ、著名人であるがゆえに大きく報道され、結果として監督という役職を失うことになったのではないか、という見方もある。こうしたことから、阿部氏が社会の過剰な反応によって、必要以上に厳しい社会的制裁を受けているのではないかという疑問の声も広がった。「民事不介入」の原則が痛ましい児童虐待を呼んだ歴史一方で、こうした阿部氏擁護の声が、本当にDV被害や虐待に苦しむ人々の声をかき消してしまうのではないかと懸念する意見もある。この問題を考えるうえでは、日本の警察組織に長く存在した「民事不介入」の原則を振り返る必要がある。「民事不介入」とは、家庭内暴力や個人間の金銭トラブルなどについて、国家権力である警察はみだりに介入すべきではないとする基本姿勢である。しかし、その結果として深刻な被害の兆候が見過ごされ、取り返しのつかない悲劇が繰り返されてきた。その象徴的な事例のひとつが、1999年の桶川ストーカー殺人事件である。この事件では、被害者が繰り返し相談していたにもかかわらず、「男女間のトラブル」として扱われたことで対応が遅れ、最終的に痛ましい結果を招いた。この事件を契機として、翌2000年にはストーカー規制法が成立し、「民事不介入」の原則を見直す流れが加速した。また、今回のような家庭内トラブルについても、「民事不介入」の考え方や児童相談所と警察との連携不足が背景にあったと指摘される事例は少なくない。2018年に起きた東京都目黒区5歳女児虐待死事件や、2019年の千葉県野田市小4女児虐待死事件などは、その代表例として挙げられる。こうした反省を踏まえ、現在では児童相談所と警察が緊密に連携し、虐待が疑われる事案を認知した際には、ためらわず介入する体制が整備されている。今回の警察による介入も、そうした流れの中で発生した。報道によれば、警視庁は「阿部氏を現行犯逮捕する必要があると判断した」とされる。警察としては、児童虐待防止の観点から最悪の事態を想定し、迅速な対応が必要だと判断したのだろう。虐待への公的介入と、事件による社会的制裁は別問題もっとも、逮捕はあくまで捜査機関が身柄を確保し、逃亡や証拠隠滅を防ぐための手続きであり、有罪を確定させる刑罰ではない。その段階での過度なバッシングは避けるべきである。また、勇気を出して児童相談所や警察にSOSを発した被害者が、結果として社会的な非難を受けるような事態も、絶対に避けなければならない。今回の件では、児童相談所への通報を行った娘の行動そのものを批判するような論調も散見された。阿部氏の逮捕による社会的地位へのダメージを憂慮するあまり、立場の弱い被害者が声を上げづらくなる環境を生み出してしまうことは、決して望ましいことではない。公的機関による介入の必要性と、その結果として生じる社会的制裁の大きさは、本来別の問題として整理して考えられるべきだろう。阿部氏は会見で深い反省の意を示し、被害を訴えた娘について「温かく見守っていただければ」と語った。その言葉のとおり、被害を訴えた娘の今後も、そして阿部氏自身の今後も、社会は冷静かつ温かく見守るべきではないだろうか。
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