横澤彪「フジテレビから2キロ以内で飲食するな」

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   人気テレビ番組「オレたちひょうきん族」や「笑っていいとも!」を手掛け、日本のバラエティーを変えた横澤彪が2011年1月8日、73歳で亡くなった。フジテレビの元ゼネラルプロデューサー。「とくダネ!」は横澤の早すぎる死を悼み、業績を偲んだ。

初詣のおみくじは「大吉」

   当時の番組で振り返ると、いまでは大物といわれるビートたけしや明石家さんま、島田紳助たちが若く、みんな生き生きとしている。彼らの才能を見出し、育てた横澤流にはアドリブ重視や斬新なアイデアがあるが、キャスターの笠井信輔は、フジテレビのアナンサーとの対談をまとめた「テレビの笑いを変えた男   横澤彪かく語りき」(扶桑社)という本をもとに横澤伝説を紹介した。

言葉やさしいが辛辣

   (1) 「東西対抗漫才大会」という企画の番組名を、社内上層部の反対を押し切って「THE MANZAI」に変えた。

   (2) 観客席に大学生だけを集めた。それまでは、ふだんから「笑い屋さん」としてキープしている年配の主婦層を使っていたが、それを劇的に変えた。

   (3) フジテレビから2キロメートル以内で飲食した領収書はごみ箱に捨てると公言した。会社の近くでは会社や上司の悪口しか出ない、六本木あたりの華やかなところに行って飲んでこいということだった。

   いずれも、新しさを求め、これまでの常識を破ったところに特徴がある。

   破天荒なギャグとコントが売り物だったが、芸能デスクの前田忠明が「柔和な人だった。言葉はやさしいが、内容は相当辛辣。だから、その意味を聞き逃すことがあった。後になって、ああ、あれは怒られていたのか、と思うことがあった」と話す。

   コメンテーターの竹田圭吾(ニューズウィーク日本語版編集主幹)は「80年代、日本がバブルへ向かって行く時代を象徴するような生き方だった」

   アナウンサーの中野美奈子は横澤は今年も初詣に出掛け、「大吉」を引いていたという関係者から聞いた話を披露、突然の死を惜しんだ。

   最後に司会の小倉智昭が「フジテレビのある意味で基礎をつくってくれた人でした」と結んだ。

文   一ツ石 | 似顔絵 池田マコト
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