2024年 4月 26日 (金)

ビートたけし「100億円の愛人」父親は国会議員秘書から元熊本県議

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<「これまで星の数ほど愛人を作ったたけしさんですが、これほど夢中になった女性は初めてじゃないでしょうか。『カミさんに全財産を渡して(A子さんと)一緒になる』と言ったときはゾッとしました」>

   『週刊文春』の「スクープ撮 ビートたけし『100億円の愛人』」の中でたけしの事務所関係者がこう話している。たけしは御年67歳、A子さんは49歳。昨今、年の離れたカップルが多い中ではさほど驚く年の差ではないが、たけしは「本気」なのだろうか。

   ダウンタウンの浜田雅功がフライデーされたとき、『週刊ポスト』の連載でこう語っていた。<六十過ぎちゃうとチンポだって勃たないし、そもそもオネエチャンに興味がなくなっちゃう>

   ほぼ彼女は50歳。オネエチャンという年ではないから勃つのかもしれないが、忙しい時間をやりくりしてたけし名義の目黒区のデザイナーズマンションに彼女を住まわせ、半同棲状態だという。

   モノクログラビアには二人が食事を終えて店から出てくるところが載っている。彼女は100万円もするバーキンを持っているが、これもたけしがプレゼントしたものだという。

   彼女はどういう素性なのだろうか。週刊文春によれば、<彼女の父は、大手広告代理店の元幹部、国会議員の秘書を経て、地元の熊本で県会議員を務めたこともある名士>だ。議員秘書や県会議員が「名士」かどうかは判断の分かれるところだろうが、彼女は一時、関西の高級ホテルの「アドバイザー」という肩書きを持っていたそうだ。09年に彼女はホテル事業の関連会社を立ち上げたが、昨年(2013年)末に解散している。A子がたけしとの関係を深めていった直後のことだったという。

事務所「自宅修理中なので泊まらせてもらっているだけ」

   もしたけしが本気で離婚を考えているとしたら慰謝料はいくらになるか。週刊文春はお節介にも計算している。年収が15億円から18億円。これまで稼いだカネは100億円はくだらないそうである。しかも、その収入を管理しているのがたけしの奥さんと長男が代表を務める会社だから、離婚するにあたっては相当揉めること間違いない。

   たけしは週刊文春の直撃には答えなかったが、所属事務所の「オフィス北野」の森昌行代表がこう話している。A子とは仕事の関係で男女の仲ではないと、たけしはいっているという。だが、毎日のようにA子のマンションにたけしが泊まっていることは否定せず、世田谷の家が改修工事に入るためA子のところに泊まらせてもらっているだけだと話す。

   ビートたけしといえば「フライデー襲撃事件」を思い出す向きも多いだろう。1986年、当時17歳だったB子さんとの不倫が発覚し、それを報じたフライデー編集部をたけし軍団が夜中に襲撃した傷害事件である。これを機にフライデーは急激に部数を落としていく。91年にはB子さんとの間に子供が生まれていたことを、私が編集長のときのフライデーで報じた。このときはまだ襲撃事件の余波が残っていたため、社内にもたけしへのアレルギーが強く、社長にも掲載する前に知らせたことを思い出す。

   私にはたけしの出る報道番組は感心しないし、最近の彼の映画も作り始めた頃と比べると質が落ちていると思っている。そんな彼の焦りが老いらくの恋へと走らせているのではないのか。

還暦・郷ひろみ「双子の父親」周囲が驚く健康オタク…歯磨き1日4回、ラーメンここ30年間食べてない

   歌手の森進一(66)も『週刊女性』に「不倫妻」がいると書かれている。相手は森のファンクラブ会員で、夫と娘がいる50代の女性だという。森側は「事実と異なる」と否定しているが、たけし以上に浮き名を流した森だから、あっても不思議はない。

   思い起こせば、私が『週刊現代』にいるとき、森進一と大原麗子(当時は渡瀬恒彦と結婚していた)が密会していると書いたことがあった。大原は事実無根だと名誉毀損で訴えてきたが、それから後に渡瀬と離婚し森と再婚した。

   その結婚式になぜか呼ばれ、そのときの記念のカルチェのボールペンがいまも机の中にある。

   森とたけしはほぼ同年。いま流行の「死ぬまでSEX」を実践しているのだろうか。

   少し年下だが、郷ひろみ(58)も頑張っている。24歳下の女性と結婚し6月28日に双子の男の子をもうけた。郷は見た目もスリムで若いが、『週刊新潮』は郷の加齢への挑戦をこう書いている。

<郷は20代から、かなりの健康オタク。健康は口腔から、というのが持論で、1日に最低4回、15分以上かけて歯を磨き、夕食前にも磨く徹底ぶり。また、わざと利き手と逆の手で歯ブラシを持ち、身体のバランスも同時に整えるのだとか。朝は5時に起床して5キロ走り、アサイーのスムージーにシリアルと蜂蜜を加えたものを食べ、早めの夕食では、鶏肉は皮を取り除き、マグロなら赤身しか食べない。しかも寝る前2時間は一切食べず、10時半には寝て酒は口をつける程度。ラーメンはここ30年、一度も食べていないといい、カツ丼、酢豚、エンガワも口にしないそうです」(郷をよく知る芸能関係者)>

   郷はニューヨークに住んだときも、ジムで2時間筋トレに励み、ジョギングなどの有酸素運動も欠かさず、腹8分目を守ったという。

   いやはや、これほどまでにしなければあの若さを保てないのか。私は見てくれが年をとっていても、好きなものと好きな酒を飲んでいたい。40代(50代でも可)の女性と不倫はしたいという願望はあるが、どこかにいないかね。

「大泣き野々村県議」やっぱり変わり者!同僚に怒鳴り散らしたり水割りの氷怖いと号泣

   さて、このところのワイドショーは号泣男の話題で持ちきりである。朝メシを食べているとき、あの泣き顔と大声を聞かされるとメシがまずくなる。週刊文春によれば、きっかけは神戸新聞が野々村竜太郎・兵庫県議の「日帰り出張195回の名目で計約300万円を政務調査費から支出した」と報じたからだ。

   こんな男がよく県議になれたものだが、11年4月に行われた県議選に出た野々村氏は、勝手に「日本維新の会」と間違う「西宮維新の会」を名乗り、順風だった維新の風に乗って当選したそうだ。このとき訴えていたのが、「議員報酬の半減」と「政務調査費の透明化」だったというのだから笑える。

   こんな人間にも約1400万円の報酬が与えられ、月50万円の政務活動費が使えるのだ。この政務活動費を満額使い切っていたのだが、昨年だけで176万円分の切手を金券ショップで購入し、自宅近くのスーパーでの買い物もクレジットカードを使用し、事務用消耗品を購入したことにしていたそうだ。昨年、城崎温泉に195回も「日帰り出張」したとしているが、そんなことができるわけがないことは、メディアの取材で明らかである。

   週刊新潮によれば、野々村県議は名門校・北野高校を出て関西大学法学部に進み、卒業後に兵庫県川西市役所に就職した。道路を直角に曲がる小学生時代や水割りの氷が怖いと号泣した青春時代があったそうだが、市役所時代のエピソードが彼の人となりを物語っているようだ。

<「いきなり同僚を怒鳴る、訳のわからないことを喚き散らす、泣く、人間関係をぐちゃぐちゃにする。野々村はそんなヤツでしたわ。市内の中学校の事務員に飛ばされ、着任早々、別の事務員に怒鳴り散らした。で、校長から『もう来んでええ』と叱責されると、ホンマに無断欠勤するようになってしもうたんや」(元川西市役所職員)>

   役所を辞めてからは町長選挙や市長選挙などに出ては落ちるが、兵庫県会議員選挙で初当選する。野々村議員は辞職に追い込まれそうだが、こういう人物に1票入れた人間が2万6000人近くいたことには驚く。この人たちも「反省」すべきだろう。

古舘伊知郎いまでも印象に残ってる久米宏のひとこと「強烈なサバイバルなんだよ」

   『AERA』の「古舘伊知郎と『報ステ』の10年 『裏』を語る勇気がないんです」をおもしろく読んだ。古舘伊知郎という男を以前は嫌いだった。軽薄が洋服を着て歩いている男。そうとしか思っていなかったが、「報道ステーション」をやり出してから見方が変わった。こいつなかなかいいじゃないか。そう思うようになったのだ。

   福島第一原発の放射能汚染問題を積極的に取り上げ、集団的自衛権容認に反対する言動は、テレビという大きな制約のある中では頑張っているほうである。田原総一朗氏が年のせいか政権にすり寄っているように見えるのとは違う。この10年の間に勉強し努力をしてきたのだと、密かに評価している。

   その古館氏が10年ぶりに吉田豪氏のインタビューに答えた。奥歯にものが挟まったようないい方は釈然としないが、これが彼の限界なのだろう。「もうとにかく口にさるぐつわした状態で10年経ったわけです」と、彼が置かれた状況をこう自嘲している。

   彼は今年で60歳になる。したがって「しゃべり手人生はどこまで続くだろうかとかいろいろ思うと、余計に悔いを残したくないし、やりたいことをちょっとやらせてくれっていうのが、正直なところですよね」と本音を少し漏らしている。

「ニュースも表しか伝えないところがありますからね。伝えられないけど、言外にある裏側、バックステージみたいなことも、スタッフに嫌な顔をされてもちょこっとは言いたくて。ただ場外乱闘までいってない、エプロンサイドぐらいで」

   「報道ステーション」をやる前から久米宏のことは意識していたそうだから、久米に挨拶に行ったことがあるという。「そのときに久米さんの楽屋にあいさつに行ったら、そんなに親しいわけじゃないんですけど、『いや、古館君。毎日毎日、月~金の報道番組をやるっていうのは、もう強烈なサバイバルなんだよ』って言ったの。僕はピンときてないんです、自分はやったことないから。やるつもりもなかったし、そのとき。だけど、ものすごい印象に残ってるんですよ」

   サバイバルとはどういう意味なのだろうか。久米も自民党から目の敵にされ、隙あらば引きずり下ろしてやろうという内外に多くの敵がいたことを指しているのか。

「『報道ステーション』をやってて、自分の感ずるところ、思うところをなかなか言えない。表の報道をしてて、裏の背景をあんまり言えない。これはさっきからずっと嘆いてますけど事実です。だけど逆から見ると、言えないのは僕に勇気がないからなんですよ。番組が今日で終わっちゃうとか、これを言ったらおしまいだなとか思ってるだけで。基本的にホントのことを言うと、世の中、糾弾されるじゃないですか」

   糾弾されてもいってくれよと思うのは、テレビを見ている人間の勝手な思い込みなのだろう。

「自分はもうこれだけやらせてもらっているから、べつに明日降ろされても幸せなしゃべり手人生だったと思えますからね。世の中ってうそ八百で成り立ってるし、ホントのところは新聞も雑誌もテレビも伝えないし、たまに言外に漂わせたり、におわせたり、スクープで追及したりってことはあっても、ほとんどがお約束で成り立ってるわけですね。プロレスですよ、世の中。完全にプロレスです」

   テレビの限界を知っているから、そこを壊すことなくちょこっと権力批判を織り込む古館の『頑張り』が目立つのだろうが、隔靴掻痒の感は否めない。

「でも、無理して10年やってきましたから、もうちょっと頑張りたいんですよね(笑)」

   古館が「テレビとおさらば」と決意する日はもうすぐ来る。そのときは思う存分胸の内をぶちまけテレビ批判をしてもらいたいものである。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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