2024年 4月 25日 (木)

俳優・高倉健を支えた「人と出会い、みんなで映画を作る感動」いい風が吹きそうなところへ体と心を持っていく

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   高倉健は俳優生活約60年、205本の出演し、不器用で寡黙で一途な男を演じ続けた。その情熱と「独特の孤独感」(ビートたけし)を支えたものは何だったのか。2001年5月の「クローズアップ現代」でキャスターの国谷裕子に語っていた。

「だれかを好きになることが、やっぱり一番強いと思いますね。好きなスタッフに見つめられるときブルブルっとします。鳥肌が立つんですね」

吉永小百合「すごい集中力で、こんな方がいらっしゃるんだと驚きました」

   1956年、25歳でのデビューだった。映画に入ったのは生活のためだったが、65年の「網走番外地」「昭和残侠伝」から任侠映画シリーズが大ヒットした。義理と人情、「死んでもらいます」が決め台詞になる。

   しかし、美術家の横尾忠則によると、「ヤクザ映画から足を洗いたい」と言っていたという。77年の「幸福の黄色いハンカチ」が転機だった。不器用な生き方しかできない誠実で一本気な男、ただしヤクザではない。健さんは目の色変えて役づくりに取り組んだ。刑務所を出所した男がめし屋でビールを飲むシーンがある。思い詰めた目でグラスをにらみ、一気に干して震える。共演した武田鉄矢は「その何秒かのために、前日から食事を抜いていたんです」と話す。

   この1作でイメージができた。社会の荒波の中で懸命に生きる主人公に自らを重ね合わせていた。「(役に)何かを感じなくてはならないと決めてますから。生きてられていいなぁといつも思います」と話していた。

   2・26事件の叛乱将校を演じた80年の「動乱」で、妻を演じた吉永小百合は「すごい集中力で、こんな方がいらっしゃるんだと驚きました。健さんの息づかいが伝わって、芝居をしてるんですが、カメラマンもスタッフもいないかのような状況になっていました」

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